賢く生きる、私の智慧~人生を豊かにする仏教の教え~
朝の澄んだ空気の中、経典を紐解くとき、私はいつも「賢く生きる」とはどういうことか、その智慧の深さに感銘を受けます。人生には迷いや困難がつきものですが、その中でいかに心の平静を保ち、豊かな日々を送ることができるのでしょうか。本日は、その智慧についてお話ししたいと思います。
変化を受け入れ、人生を観察する智慧
私たちの人生は、常に変化の連続です。「諸行無常」という言葉が示すように、この世のあらゆるものは移ろいゆくものです。好調な時もあれば、困難に直面する時もあります。しかし、その変化を恐れたり、抵抗したりするのではなく、ありのままに受け入れることが、心の平安を得る第一歩です。
例えば、お墓じまいという選択も、まさにこの変化を受け入れる智慧と言えるでしょう。先祖代々受け継がれてきたお墓の形を変えることに、戸惑いや罪悪感を覚える方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それは決して過去を捨てることではありません。家族のあり方が変化し、供養の形もまた時代と共に移り変わっていく中で、より良い方法を選択していく賢さなのです。
仏教の教えは、私たちに「今、ここ」を大切に生きることを促します。過去を悔やんだり、未来を案じたりするのではなく、今この瞬間にできる最善を尽くすこと。それが、目の前の課題に賢く向き合う智慧となります。永代供養を選ぶことも、未来への準備として、現在の状況を冷静に観察し、最良の決断を下すことにつながります。
比較を手放し、自らを知る智慧
私たちはとかく他人と自分を比較し、その中で苦しみを生み出してしまいがちです。「あの人は幸せそうに見えるのに、なぜ私は…」という思いが、心の不安を募らせる原因となることもあります。しかし、人生において本当に大切なことは、他人との比較ではなく、自分自身の内側と向き合うことにあると、私は考えます。
自分の強みや弱み、心の癖を深く理解すること。それが、賢く生きるための重要な智慧です。私自身も、修行を通じて自分自身の不器用さや欠点と向き合ってきました。完璧な人間などどこにもいません。大切なのは、自分の現状を正確に認識し、そこからどのように成長していくかを考えることです。
お墓の選び方も同じです。他人がどうしているか、世間体がどうか、といった外側の基準に囚われるのではなく、ご自身の家族にとって、そして故人様にとって、何が本当に良い供養の形なのかを、心の声に耳を傾けて見出すことが大切です。永代供養は、画一的なものではなく、多様なニーズに応える選択肢として存在しています。自分自身の価値観に照らし合わせ、納得のいく形で先祖供養を行う智慧が、皆様の心を豊かにすることでしょう。
与える喜びを知り、行動する智慧
「与えること」は、私たちに真の喜びをもたらす智慧です。人は、何かを「もらう」時に快楽を感じるようにできていますが、真の幸福は、自らが「与える」行動の中にこそ見出されると、仏教は説きます。そして、その与える行動は、決して物質的なものだけではありません。笑顔や知識、時間、そして心のこもった言葉もまた、尊い布施となり得るのです。
永代供養という選択も、ある意味で「与える」行為と言えます。子孫に墓地の管理負担をかけたくないという思いや、未来の世代が安心して先祖供養を続けられるようにしたいという願いは、まさに利他の精神に基づいています。私ども昌楽寺は、住職による毎日の読経供養や、専門スタッフによる清掃管理を通じて、皆様のその尊い思いを形にするお手伝いをさせていただいております。
賢く生きる智慧は、頭で考えるだけでなく、具体的な行動へと移すことで初めて発揮されます。昌楽寺が檀家制度を設けないのも、皆様がより自由に、そして積極的に供養の形を選択し、行動していただくためです。この姫路の地で、皆様が心の平安を得て、豊かな人生を送るための一助となれるよう、私もまた日々精進してまいります。