1. HOME
  2. ブログ
  3. お坊さん日記
  4. 心の奥に輝く「仏性」の光を見つける

心の奥に輝く「仏性」の光を見つける

私たちの心には、誰もが生まれながらにして仏様の種、「仏性」という光を宿していると仏教は説きます。しかし、日々の忙しさや、心に押し寄せる様々な感情の波に飲まれ、その光が見えにくくなることもあるのではないでしょうか。今日は、あなたの内なる光を見つめ直し、それを輝かせるためのお話です。

仏性とは何か、そしてなぜ見えなくなるのか

「仏性」とは、文字通り「仏になる可能性」や「仏の性質」を意味します。私たちは皆、例外なくこの尊い性質を心の中に持っているのです。しかし、私たちは日々の生活の中で、様々な「煩悩」に囚われがちです。中でも代表的なのが「三毒」と呼ばれる貪(欲望)、瞋(怒り)、癡(無知や愚かさ)の三つです。これらの煩悩は、私たちの心を濁らせ、本来持っている仏性の光を覆い隠してしまいます。

例えば、欲しいものが手に入らない時に感じる不満や、他人を羨む気持ち、あるいは怒りに任せて言葉を発してしまうこと。これらはすべて、私たちの心を覆う雲のようなものです。私もまた、自分の心と向き合う中で、時には怒りや焦燥感に駆られることがあります。しかし、そうした感情に振り回されず、正しくそれを認識することが、心の平穏を取り戻す第一歩だと学びました。本来の私たちが持つ純粋な「仏性」の光は、煩悩によって一時的に隠されるだけで、決して失われることはありません。ご先祖様もまた、この仏性を持ち、私たちに命を繋いでくださいました。彼らもまた、生きていく中で煩悩と向き合い、乗り越えてきたことでしょう。

執着を手放し、光を輝かせる

仏性の光を輝かせるためには、「執着」を手放すことが重要だと仏教は教えています。執着とは、特定のものや考え方に心が固執し、そこから先に進めなくなってしまう状態を指します。たとえば、「こうあるべきだ」という固定観念や、過去の出来事へのこだわり、あるいは未来への過度な不安などが、私たちの成長を妨げ、仏性の光を覆ってしまうことがあります。これは、まるで膨らみすぎた風船が破裂してしまうように、心に大きな負荷をかけることになります。
しかし、執着を手放すということは、決して何かを諦めることではありません。むしろ、それは現状を大きく変える「チャンス」であると捉えることができます。うまくいかない時、心が停滞している時こそ、自分自身と深く向き合う好機なのです。自分自身の「足りない」部分を素直に認め、知らないことを知る勇気を持つことで、新たな学びや気づきが得られるでしょう。そして、困難な状況の中にも「ありがたい」ことを見出す心、つまり「感謝」の気持ちを持つことができれば、執着の鎖は解き放たれ、仏性の光は再び輝き始めます。この感謝の心は、先祖供養を通じて、私たちに命を繋いでくださったご先祖様への感謝の念を深めることにも繋がります。

「仏性」を磨き、人生を豊かにする

私たちの心に宿る仏性を磨き、人生をより豊かにするために、日々の実践を心掛けてみましょう。まず大切なのは、自分自身の心を「観察」することです。感情が大きく揺れ動く時、一歩引いて、その感情がどこから来ているのか、どのように自分に影響しているのかを見つめてみるのです。そうすることで、感情に振り回されることなく、冷静に対処できるようになります。

また、新しいことに挑戦し、「行動」を起こすことも、仏性を磨く上で欠かせません。頭で考えるだけでなく、実際に体を動かすことで、新たな気づきや学びが生まれます。私も修行僧として、武道の稽古や山の作業、あるいはただ皿を洗うといったシンプルな作業を通じて、心と体の繋がりを深く感じてきました。そして、人との出会いを大切にし、互いに学び合う姿勢を持つことも重要です。私たちの心に宿る仏性の光は、決して一人だけで輝くものではありません。ご先祖様から受け継いだ命、そして多くの方々とのご縁の中で、その光は磨かれ、さらに強く輝きを増していくでしょう。日々の「先祖供養」は、この仏性を意識し、感謝の心で生きるための大切な機会なのです。

関連記事

最近の記事

お問い合わせ

問い合わせボタン

お問い合わせ