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ストレスとの付き合い方

日々の暮らしの中で、私たちは様々なストレスに直面します。それはまるで、穏やかな水面に立つさざ波のようにも、荒れ狂う大海の波のようにも感じられるでしょう。この「波」はどこからやってくるのでしょうか。私たちの多くは、外の世界、人間関係、仕事のプレッシャーなど、自分以外のものからストレスが生まれると考えがちです。しかし、果たして本当にそうなのでしょうか。
私たちが感じるストレスの多くは、実は外側の出来事そのものよりも、それに対する私たちの「心のあり方」から生まれているのかもしれません。たとえば、私たちは物事を「こうあるべきだ」と完璧さを求めたり、「白か黒か」と明確な答えを求めたりしがちです。世の中や人間関係は、常に私たちの思い通りに動くわけではありません。その「思い通りにならない」ことへの固執が、心の中に摩擦や緊張を生み出し、それがストレスとなって私たちを苦しめることがあります。
また、私たちは知らないうちに、多くの人工物の中で生活し、人工的にデザインされたものの中で働いています。そうした環境は、私たちに「こうすれば完璧になる」という幻想を抱かせがちです。しかし、人生は決して完璧なデザイン図通りには進みません。職場での人間関係も、家庭での小さな出来事も、時には私たちの意図しない方向へ進むことがあります。このような状況で「なぜだ?」と心を硬くすればするほど、ストレスは増幅していくでしょう。私たちは、この「心のあり方」を見つめ直すことで、ストレスの波に飲み込まれるのではなく、その波を乗りこなす智慧を育むことができるのです。

心に「遊び」を持つことの大切さ

機械の部品には、スムーズに動くためのわずかな「遊び」が設けられています。この「遊び」があるからこそ、機械は負荷がかかっても壊れることなく、長く機能し続けることができます。人間の心や人間関係もまた、この「遊び」がなければ、すぐに軋みが生じ、壊れてしまうものです。
職場で、後輩が同じ失敗を繰り返したり、夫が緊急事態宣言下でもゴルフに行こうとしたりする時、私たちは「なぜ私の言うことを聞かないのか」「なぜ周りに迷惑をかけるのか」と怒りや不満を感じてしまうかもしれません。それは当然の感情です。私たちは誰もが、不利益を被りたくないし、嫌な思いをしたくありません。しかし、その感情にとらわれすぎると、心に余裕がなくなり、状況をさらに悪化させてしまうことがあります。
仏教では、「同事(どうじ)」という教えがあります。これは、相手の立場に立って物事を考えるということです。たとえば、仕事ができない同僚がいても、その人には私たちには見えない魅力があるかもしれないし、家庭の事情を抱えているのかもしれません。また、夫が日人形を迷惑がっても、それは彼が幼い頃から感情を表に出すのが苦手な性質を持っていたからかもしれません。私たちが、相手の行動の背景にあるかもしれない理由や、その人の性質を理解しようと努めることで、心の中にゆとりが生まれます。この心の「遊び」が、人間関係のトラブルを軽減し、私たち自身のストレスを和らげることにつながるのです。

「与える喜び」がもたらす心の平静

私たちは生まれた時から、何かを「受け取る」ことで生きる喜びを感じるようにできています。ご飯を食べたら美味しいと感じ、プレゼントをもらったら嬉しいと感じるでしょう。しかし、この「受け取る喜び」ばかりを追い求めると、やがて「もっと欲しい」という貪欲な心が生まれ、人間関係にも軋轢が生じます。

私たちは皆、幸せになりたいと願っていますが、本当の心の豊かさは「与える」という行為から生まれると仏教は教えています。「布施(ふせ)」という教えは、お金や物だけでなく、知識や技術、力、そして何より「笑顔」や「思いやり」を惜しみなく与えることです。誰かを助けたり、励ましたり、喜ばせることで、私たちは心の充実感を得られます。

私自身も、日々の生活の中で、掃除や料理といった家事の繰り返しを「面倒だ」と感じることもあります。しかし、それを「誰かのため」と捉え、喜びを持って行うことで、単調な作業が「喜び」へと変化するのです。私たち人間は、自分のためだけに生きているわけではありません。花が美しい姿を咲かせ、実を結び、蜜蜂が花から蜜を集め、花粉を運ぶように、自然界の生き物たちは互いに「与え、与えられる」関係性の中で生きています。このギブ・アンド・テイクの法則を理解し、自分の持っているものを周りの人々に喜んで差し出すことで、心の奥底から湧き上がる温かさや明るさを感じ、ストレスとは無縁の心の平静を保つことができるでしょう。

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