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「煩悩」と向き合い、幸せを見つける

なぜ、私たちは常に「何か足りない」と感じるのでしょう? 先日、ある方が「もっとお金があれば」「もっと時間があれば」と、尽きることのない願望を語っていらっしゃいました。そのお話を聞きながら、私自身も、過去に様々な欲に囚われ、心が休まらなかった時期があったことを思い出しました。私たちは、日々、多くの情報に触れ、他者と自分を比較する中で、いつの間にか「もっと」「もっと」と求める心に支配されてしまうことがあるのではないでしょうか。

仏教では、この尽きることのない願望を「煩悩」と呼びます。煩悩は、時に私たちを苦しめ、不幸の元となるものですが、本当に煩悩は「悪いもの」なのでしょうか。そして、私たちはいかにしてこの煩悩と向き合い、心の平穏と真の幸せを見つけることができるのでしょうか。この問いは、現代を生きる私たちにとって、非常に重要な意味を持つと感じています。

日常生活に潜む「三毒」とは

仏教の教えでは、数ある煩悩の中でも特に私たちを苦しめる代表的なものとして「三毒」が挙げられます。それは「貪(とん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」という三つの毒です。貪とは、際限のない欲望や執着のことで、例えば「もっと欲しい」という気持ちが限りなく膨らむ状態です。瞋とは、怒りや憎しみの感情。そして痴とは、物事を正しく見極めることのできない無知や愚かさを示します。

これら三毒は、私たちの心と身体に悪影響を及ぼし、日々の生活を苦しいものに変えてしまうことがあります。例えば、お金や物質的な豊かさばかりを追い求めすぎると、心が休まることはありません。また、他者への怒りや不満を抱え続けることは、自分自身の心を濁らせ、体調を崩す原因にもなりかねません。これらの「毒」が蔓延すればするほど、私たちは本来の穏やかさや幸せから遠ざかってしまうのです。

煩悩と向き合い、心の平穏を

しかし、煩悩は必ずしも悪いものとして捉えるべきではありません。むしろ、それは私たちが生きる上で、避けては通れない心の働きであり、乗り越えるべき「課題」と考えることができます。大切なのは、煩悩を無理に排除しようとするのではなく、その存在を認め、どう向き合うかを知ることです。仏教では「小欲知足(しょうよくちそく)」という教えがあります。これは、少ない欲で満足することを知り、足るを知るという意味です。腹八分目で食事を終えるように、何事も「過ぎる」ことは避けるべきだという教えは、煩悩との付き合い方にも通じます。

欲望に際限がないことを理解し、適切なところで満足する心を持つことができれば、心の平穏が訪れます。もし、現在の生活や人間関係に苦しみを感じているのであれば、それはもしかしたら、何かに対する執着が強すぎることが原因かもしれません。例えば、代々受け継がれてきたお墓の形式にこだわりすぎて、管理の負担や家族間の争いが生じている場合、墓じまいを検討し、永代供養という新しい供養の形を選ぶことで、その執着を手放し、心に平穏を取り戻すことができるでしょう。

煩悩は、私たち自身の成長の機会でもあります。それに気づき、日々の行いや言葉、そして心の持ち方を改めていくことで、私たちはより豊かな人生を築き、真の幸せを見つけることができるはずです。皆様の心が煩悩の苦しみから解き放たれ、穏やかな日々を送られますよう、心よりお祈り申し上げます。

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