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許しが拓く心と人生~墓じまい・永代供養で知る慈悲~

最近、お参りに来られた方のお話から、自分の心と向き合うことの大切さを改めて感じました。私たちは時に、過去の出来事や他人の言動に心を囚われ、自分を責めたり、他人を許せずに苦しむことがあります。そんな心の重荷を手放し、穏やかな日々を送るにはどうすれば良いのでしょうか。

過去への執着を手放す智慧

私たちの心は、知らず知らずのうちに多くの「執着」を抱え込んでしまいます。過去の出来事や、他人の言葉、そして自分自身の考えに囚われすぎると、心は身動きが取れなくなり、前に進むことができなくなってしまいます。まるで、重い荷物を背負いながら坂道を登るようなものです。時には「考えすぎる」ことで、行動が伴わず、時間だけが過ぎ去ってしまうこともあります。不安や苦しみに「過ぎる」ほど囚われてしまうと、それはもはや人生の無駄な時間となってしまうでしょう。

しかし、仏教では、苦しみの中にこそ「気づき」の種がある、と教えています。例えば、何か問題が起きた時、「何もない状態」を願うのではなく、「何かがある」という現実を受け入れることから、感謝の心が生まれてくることがあります。周りの誰かと比べて「自分には足りないものがある」と感じる時、それが執着や依存を生み出す原因となることもあります。ですが、苦しい状況は、大きく変わるための「チャンス」でもあるのです。心の中にある重い荷物、例えば、過去への恨みや後悔、あるいは未来への過度な不安を手放すことで、私たちは新たな一歩を踏み出す勇気を持つことができます。それは、自分自身のものの見方や考え方、そして日々の行動を大きく変えることにつながるでしょう。

他者を理解し受け入れる慈悲の心

他者を許すことは、自分自身の心を解放することに繋がります。私たちは、他人の言動に心を乱されることがよくありますね。しかし、相手を理解しようと努め、その話に耳を傾けることで、不必要な誤解や対立を避けることができます。相手が何を伝えたいのか、何を求めているのかを深く聞くことは、相手を尊重することにもなります。時には、自分が「これは言わない方が良いだろう」と判断する智慧も自然と身についてくるものです。

人間関係において、すべてを完璧にこなせる人はいません。自分自身が完璧ではないと知ることは、他者の不完全さを受け入れる慈悲の心に繋がります。たとえ「嫌いな人」であったとしても、その人との出会いが自分を成長させるための「学び」の機会であると捉えることもできます。私たちの人生における「縁」は、私たちを成長させるために存在しているのです。夫婦関係や親子の関係、師弟関係など、簡単に切れない縁は、お互いが学び合い、助け合う「持ちつ持たれつ」の関係であると言えるでしょう。相手に求めるばかりではなく、与え合う心を持つことが、より良い関係を築くための大切な一歩となります。

心の重荷を解放する永代供養という選択

家族のあり方や、お墓の管理に悩みを抱える方も少なくありません。これまでの慣習にとらわれすぎると、時にそれが心の負担となることもあります。「墓じまい」を検討することは、先祖への想いを断ち切る行為ではなく、むしろ現代の生活様式に合わせた新たな供養の形を選ぶことです。それは、先祖代々受け継がれてきた命のバトンに感謝しつつ、今を生きる私たちの心の重荷を軽くする慈悲の選択と言えるでしょう。

当昌楽寺の「永代供養」は、ご家族に代わって住職が毎日読経供養を行い、永続的に管理いたします。檀家制度もございませんので、これまでのお墓の維持に関する悩みや、将来への不安から解放され、心穏やかに過ごすことができます。これは、ご先祖様にとっても、子孫にとっても、未来永劫にわたる安心の絆となるはずです。心の負担を手放すことで、ご自身を愛し、他者を許す広い心を持つことへと繋がります。お墓を「終わり」ではなく、新たな「始まり」の場所として捉えること。それが、供養の形を変えることによって得られる心の解放であり、豊かな人生への第一歩となるのです。

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