「ありがとう」の言霊が拓く、運気満ちる日々

私たちの周りには、意識すればするほど、感謝すべき「ありがたい」ことが満ち溢れています。しかし、私たちはつい、不満や不足に目を向けがちです。このブログでは、「ありがとう」の言霊が持つ不思議な力に焦点を当て、感謝の心を育むことで、人生の「運気」をどのように高めていけるかをお話しします。
日常で忘れがちな「感謝」の心
日々の暮らしの中で、私たちはつい、足りないものやうまくいかないことにばかり意識を向け、不平不満を口にしてしまいがちです。日本人には「すみません」と言う機会が多いという話を聞きますが、これは無意識のうちに、何か不足している点や、相手に迷惑をかけているのではないかという意識が働いていることの表れかもしれません。しかし、こうしたネガティブな言葉は、やがて私たち自身の心にも悪いエネルギーを蓄積させ、さらには周囲の状況にも影響を及ぼしていくと考えられています。
心が荒れてしまうのは、他人と自分を比較したり、自分が「持っていない」ものにばかり目を奪われたりする時でもあります。誰かの幸せそうな姿を見て、自分には不足があると感じたり、「こうあるべきだ」という理想に囚われすぎると、不満や執着が生まれてしまい、心が休まる暇がありません。私たちは、自身の命の源であるご先祖様からの恩恵や、目には見えない多くの支えにも、知らず知らずのうちに気づかなくなってしまうことがあるのです。
「ありがとう」が呼び込む「運気」の循環
言葉には、私たちが想像する以上の大きな力が宿っています。「ありがとう」という感謝の言葉は、私たちの身体の大部分を占める水分に美しい結晶を形成させ、心身を清らかに保つと言われます。良い言葉を使うことは、私たち自身の内側を良いエネルギーで満たし、結果として、私たちの周りにも良い「縁」や機会を引き寄せることになります。
この良いエネルギーは、私たち自身の「運気」を高め、良い「縁」や機会を引き寄せます。「運気」という言葉は、「気を運ぶ」と書きます。つまり、運気を高めるということは、良いエネルギーを自分自身や周囲へと巡らせることに他なりません。それは、特定のアイテムを身につけること以上に、私たちの心持ちや日々の行動によって大きく左右されるものです。
お金もまた、目に見えるエネルギーの一つであり、その使い方によって「運気」の巡りは変わります。自分のためだけに使うのではなく、他者の喜びのため、あるいは若者の成長のために使うことで、それは巡り巡って、私たちのもとに新たな「縁」や知識、そして豊かさとなって返ってくるでしょう。逆に、お金を貯め込むことや、自分の利益ばかりを追求する心は、やがてお金が離れていくことにも繋がりかねません。
「徳を積む」という教えは、私たちが知識や智慧を深め、それを惜しみなく他者に分かち与えることの重要性を示しています。この「与える」という行為こそが、真の豊かな運命を築く礎となるのです。私たちの命が、ご先祖様から受け継がれた大切なバトンであるように、感謝の心もまた、次へと繋げていくべきものなのです。
「感謝」の心が育む、永代供養の「和」
日々の生活の中で「感謝」の心を育むことは、私たち自身の「運気」を向上させるだけでなく、ご先祖様の供養という大切な営みにも、より深い意味と穏やかさをもたらします。心が感謝で満たされている時、私たちは、お墓の問題といった一見複雑な決断に対しても、より穏やかで前向きな姿勢で向き合うことができるようになるでしょう。
伝統的なお墓の管理は、遠方にある場合や、後継者がいない場合、あるいは経済的な負担が大きい場合など、ご家族にとって少なからず重荷となることがあります。これは、本来ご先祖様への感謝の気持ちから行われる供養が、時には不安や葛藤の原因となってしまうという、現代ならではの課題です。
しかし、この課題に対し、私たちは「ありがとう」の心で新たな解決策を見出すことができます。「永代供養」という選択肢は、まさにこの感謝の心を形にするものです。当寺の永代供養では、宗派や国籍を問わず、故人様を永きにわたり丁重にお預かりいたします。住職が毎日欠かさず読経供養を行い、専門のスタッフが管理・清掃を承りますので、ご家族は物理的な負担から解放され、心からご先祖様への感謝を捧げることができます。これは、子や孫世代に「負担をかけずに、永きにわたり供養を続けていけることへの感謝」を表すことでもあります。
お墓の維持に関する不安を手放し、寺院に永代にわたる供養を託すことで、ご家族は心の「和」を取り戻し、ご先祖様への感謝を純粋に感じられるようになるでしょう。この新しい供養の形は、ご先祖様への敬意と、次世代への慈悲の心を両立させ、ご家族全体の「運気」と「和」を高めることに繋がると信じております。