1. HOME
  2. ブログ
  3. お坊さん日記
  4. 心の闇を照らす、希望のともしび

心の闇を照らす、希望のともしび

人生には、予期せぬ困難が訪れることがあります。深い悲しみや恐怖に心が囚われ、まるで夜道に一人立ち尽くすかのように感じる時。そんな時、私たちの心に「希望の光」を灯すにはどうすれば良いのでしょうか。今日は、その問いについて、仏教の教えに寄り添いながら考えていきます。

避けられない苦しみとの対峙

私たちは皆、生きていれば、事故や別れ、病気など、様々な苦しみに直面します。それは、携帯電話を忘れた時の小さな焦りから、交通死亡事故のような大きな痛みまで、多岐にわたります。人間は、脳が発達したことで過去を記憶し、未来を想像できるがゆえに、それらの苦しみや「死」という避けられない現実を意識し、恐れることがあります。愛する人を失った時、私たちはその悲しみに沈み込みます。しかし、苦しみは人生の一部であり、そこから逃げようとすればするほど、かえって私たちは囚われてしまいます。それは、窓ガラスにぶつかるハエのように、外に出たいと願うのに、同じ場所に何度もぶつかり続けてしまうようなものです。

内なるともしびを灯す智慧

では、この苦しみから抜け出すにはどうすれば良いのでしょうか。最も大切なのは、「自らを拠り所とせよ」という教えです。外に答えや救いを求めるのではなく、自分の心の中に灯火を灯すのです。仏教では、人生を夜道に例えられます。師という灯火が消えた時、私たちは自分の足元をよく見て歩き、心の中に自らの灯火をともさなければなりません。

それは、自分の弱さや痛みを正直に受け入れ、時間をかけて、それが何であったのかを理解しようと努めることです。他人の過去を眺めるように、自分の過去を見つめることができれば、その痛みは徐々に薄れていきます。ご先祖様への供養もまた、私たちの内なる灯火を育む行いと言えるでしょう。過去の命の営みに感謝し、その存在を確かに感じることで、私たちは未来への希望を見出すことができます。供養とは、亡くなった方への感謝と敬意の念を育む、大切な時間なのです。

新たな一歩を踏み出す勇気

苦しみを手放すことは、決して「忘れる」ことではありません。むしろ、その痛みを深く味わい、その経験が自分をどう変えたのかを知ることです。過去の自分は「一度死んだ」と思い、新しい自分として生まれ変わる勇気を持つこと。自殺未遂から立ち直り、新たな人生を歩み始めた人々の例を見れば、一度「死にきる」ことで、人は生まれ変わることができるとわかります。恐れから逃げず、自分自身を知り、相手を知り、目の前の課題に取り組むことで、恐怖を克服する準備ができます。

この決意こそが、私たちを新たな道へと導き、困難を乗り越えるたびに、私たちは人間として大きく成長していくことができるのです。あなたの心に灯る希望の光は、必ずやあなた自身と、周りの人々を照らしてくれるでしょう。

関連記事

最近の記事

お問い合わせ

問い合わせボタン

お問い合わせ