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地獄の種類と住人たち ― 誰がどこに落ちるのか?

はじめに ― 地獄は悪い人が落ちるところ?

地獄――その二文字には、どこか怖ろしげな響きがあります。宗教を問わず、地獄と聞けば、気持ちが引き締まるような恐怖を覚える人も少なくありません。

ただし、その地獄の内容を、正確に説明できる人は意外と少ないのではないでしょうか?

今回は、世間に広く知られているけれど、実はあまり詳しく知られていない「地獄」について、仏教の視点からわかりやすく掘り下げてみましょう。

地獄はどこにある? ― 六道輪廻のなかの一つ

仏教における世界観「六道輪廻」では、生きとし生けるものは死後、その生前の行いによって「六つの世界」のいずれかに生まれ変わるとされています。

その中でも最も苦しみに満ちた世界が「地獄道」です。善行を積めば天界へ、悪行を重ねれば地獄へ――という考え方に基づき、地獄は「因果応報」の最も厳しい形として位置づけられます。

地獄道には、主に「八熱地獄」「八寒地獄」と、それに付随する「補助地獄(近辺地獄)」が存在するとされ、それぞれがさらに細かく階層に分かれています。

八熱地獄 ― 炎熱と苦痛の地

八熱地獄(はちねつじごく)は、最も広く知られた地獄です。ここに堕ちるのは、殺生や偽り、悪意に満ちた行為を重ねた者たち。八つの階層に分かれ、下に行くほど苦しみが強くなっていきます。

  1. 等活地獄(とうかつじごく):殺し合いの罪を犯した者が堕ちる最初の地獄。鬼に斬り殺され、また生き返って斬られるという苦しみを繰り返します。
  2. 黒縄地獄(こくじょうじごく):盗みや姦淫を犯した者が堕ちる場所。灼熱の鉄縄で体を縛られ、切り裂かれる苦しみを受けます。
  3. 衆合地獄(しゅごうじごく):多くの人を巻き込んだ罪を犯した者が堕ちる。高熱の鉄の山に投げ込まれ、押しつぶされる。
  4. 叫喚地獄(きょうかんじごく):大声で叫ぶほどの痛みを伴う。炎の中で焼かれ続ける苦しみ。
  5. 大叫喚地獄(だいきょうかんじごく):前の層よりもさらに激しい叫喚と苦痛。火の雨が降り注ぐ。
  6. 焦熱地獄(しょうねつじごく):火の熱で皮膚が焼け落ち、また再生する苦しみを繰り返す。
  7. 大焦熱地獄(だいしょうねつじごく):熱風と火炎に囲まれ、何度も焼き尽くされる苦しみ。
  8. 無間地獄(むけんじごく):最も重い罪を犯した者が堕ちる。休む間もなく、無限に続く苦しみ。仏教では最も恐ろしい地獄とされています。

八寒地獄(はっかんじごく)は、熱ではなく極寒による苦しみの地獄です。嘘や不義理、情け無用な行いなどが対象となります。

ここでは身が裂け、骨まで凍りつくような冷たさに苛まれます。

  1. 頞部陀(あぶだ)地獄:寒さのあまり鳥肌が立ち、身体にあばたが生じる。「あばた」という語自体がこの「あぶだ」に由来します。
  2. 尼剌部陀(にらぶだ)地獄:鳥肌が潰れ、全身にあかぎれが生じる苦しみを受けます。
  3. 頞哳吒(あたた)地獄:寒さで声にならない悲鳴「あたた」が出るほどの苦しみ。
  4. 臛臛婆(かかば)地獄:寒さのため舌がもつれ、「ははば」といううめき声しか出せない。
  5. 虎虎婆(ここば)地獄:口が開かず、「ふふば」としか声が出なくなる。
  6. 摩訶鉢特摩地獄(まかはっとくまじごく):骨の髄まで凍結し、身体が崩壊する。
  7. 阿摩羅地獄(あまらじごく):寒気により魂が失神と覚醒を繰り返す。
  8. 摩訶阿摩羅地獄(まかあまらじごく):存在することすら苦痛な寒冷の極地。

この地獄もまた、無間地獄と同様に終わりが見えない苦しみが続くとされています。

仏教の教えでは、地獄に堕ちるのは重大な悪業(あくごう)を重ねた者です。しかし、ただの違法行為というよりは、「心の持ちよう」や「他者への影響」を重視します。

たとえば、自己中心的な欲望から人を傷つけたり、深い恨みを抱き続けたり、悪意を持って人を陥れるような行為は、その人の心を汚し、死後の行き先に影響を与えるとされます。

地獄に堕ちるかどうかは、「自分がどれだけ他者と調和して生きてきたか」が鍵になるとも言えるでしょう。

仏教における地獄の存在は、単なる脅しや罰ではなく、「今をどう生きるか」を見つめ直すための教えです。

地獄を知り、その恐ろしさに震えることは、自らの行いを顧みることへとつながります。

「この行為は、誰かを傷つけていないか」「私の言葉が、誰かを苦しめていないか」――そうした気づきが、やがて慈しみや思いやりへと変わるのです。

地獄を知ることは、天国を望むことではありません。今ここで、より良く生きるための“戒め”であり、“導き”なのです。

日々の生活の中に、ふと地獄の存在を思い出すことがあったなら――それはすでに、仏の教えがあなたの心に触れている証なのかもしれません。

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