紫陽花のこころ ― うつろいを受け入れて生きる

梅雨の季節がやってきました。
雨がしとしとと降る中、昌楽寺の境内にも今年も美しい紫陽花の花が咲き始めました。濃い青、淡い紫、やわらかなピンク……見るたびに表情を変えるその色合いは、まるで人の心のようにも感じられます。
紫陽花は、仏さまの教えにふれるうえでも、さまざまな気づきを与えてくれる花です。
今日は、そんな紫陽花の姿を通して、**「うつろいを受け入れる」**という仏教のこころについて、お話をしてみたいと思います。
紫陽花の色が変わるわけ
ご存じの方も多いかと思いますが、紫陽花の色は土の性質――つまり酸性・アルカリ性によって変化すると言われています。同じ株でも土の成分や気候によって花の色が変わるという、少し不思議な植物です。
そのため、紫陽花は昔から「移り気」や「変化」の象徴ともされてきました。
しかし私は、紫陽花のこの性質を「環境に合わせて、柔軟に自らを変える力」として受け取りたいと思っています。
私たち人間もまた、日々さまざまな出来事や状況にさらされながら生きています。順調なときばかりではなく、思うようにいかないこと、悲しみにくれる日もあるでしょう。けれど、そんな日々のなかでも、私たちは何とか折り合いをつけて、今日という一日を過ごしています。
紫陽花のように、そのときどきの「土」に応じて色を変えて咲くという姿は、まさに仏教でいう「諸行無常(しょぎょうむじょう)」――すべてのものは常に変わりゆくという教えを、やさしく伝えてくれているように感じられます。
変わることを恐れなくていい
私たちは、どこかで「変わらないもの」に安心を求めたくなります。
家族のかたち、仕事、健康、あるいは信頼関係など、「ずっとこのままでいてほしい」と願う気持ちは誰しもが持つ自然なものです。
けれど、現実の世の中は、まさに「移りゆく」ことの連続です。
子どもは成長し、親は年を重ね、友と別れ、日々の仕事や生活も変化していきます。
「今がずっと続く」と思っていると、変化が訪れたときに心がついていかず、苦しみになってしまうことがあります。
仏教の教えでは、すべてのものが移り変わるからこそ、「今を大切にする」という智慧を説いています。
「この一瞬は、二度と戻らない尊いもの」。そう思うことができれば、過去にしがみつくことなく、未来を不安に思いすぎることもなく、今日という日を丁寧に生きることができるようになります。
紫陽花は、咲き始めから満開、そしてしおれてゆくまで、一切を拒まず、流れのままに咲いています。
その姿に、私たちは「変わることは悪いことではない」という、自然な生き方のヒントを見出すことができるのではないでしょうか。
比べず、焦らず、それぞれの色で
紫陽花の花には、他の花のような「明確な主役の色」はありません。
赤もあれば青もあり、白もあれば紫もある。同じ株でも咲く位置によって色が異なることもあります。
そしてそのいずれもが、それぞれの美しさを持っています。
どれが正解でも、どれが劣っているということもありません。
これは、**私たち一人ひとりの「生き方」**にも通じるものだと思います。
誰かと比べて、自分の生き方に不安を感じてしまったり、遅れているように思えたりすることもあるかもしれません。
しかし、仏さまはいつも、それぞれが「その人らしく咲くこと」を尊いと説かれています。
早く咲く花もあれば、遅く咲く花もあります。色が濃い花も、淡い花もあります。
それぞれが、それぞれの環境とタイミングで、自分の色を咲かせているのです。
他の誰かと比べず、自分の心の土壌に根を張り、自分の色を咲かせる――
そんな生き方が、仏さまの教えに通じる「ありのまま」の姿ではないでしょうか。
梅雨の静けさの中で
梅雨の時期は、どこか心が沈みがちになるものです。
外に出るのが億劫になり、空も灰色に曇って、気持ちまでどんよりとしてしまう……
けれど、そんな静けさの中だからこそ、見えてくるものもあります。
雨音に耳を澄ませば、自分の内なる声が聞こえてくるかもしれません。
紫陽花を見ていると、不思議と気持ちが落ち着いてくることもあるでしょう。
梅雨は、仏教でいえば「潤い」の季節でもあります。
カラカラになっていた心の土を、しとしとと優しく潤してくれる時期。
雨を嫌うのではなく、雨を通して自分の心に立ち返る機会ととらえてみると、紫陽花の色がいっそう鮮やかに見えてくるかもしれません。
紫陽花に手を合わせて
昌楽寺の境内に咲く紫陽花は、訪れる皆さまに静かなやさしさを届けてくれています。
この時期にお参りに来られた方が、「紫陽花がとてもきれいでした」と笑顔で帰っていかれる様子を見ていると、花にも仏さまの心が宿っているのだと、改めて感じます。
人もまた、日々の暮らしの中でさまざまに色を変えながら、咲いてはしぼみ、そしてまた新たに咲いていきます。
紫陽花のように、変化を拒まず、比べず、しなやかに生きていく――
それが、仏道を歩むうえでの大切な「こころのあり方」なのかもしれません。
どうぞ皆さまも、お時間がありましたら、この時期ならではの紫陽花をご覧にお越しください。
雨の日のしっとりとした空気の中、静かに手を合わせる時間は、きっと心の潤いとなってくれることでしょう。