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人生の意味:自らが灯す心のともしび

人生には、果たして意味があるのでしょうか。もしあるとすれば、それは誰かに与えられるものではなく、私たち自身が灯す心のともしびなのかもしれません。今日は、その問いについて、深く考えてみましょう。

人生の問い:意味はどこから来るのか

私たちは幼い頃から、学校や社会のレールの上で、与えられた目標をクリアすることに慣れてきました。「良い学校に入りなさい」「良い会社に勤めなさい」といった目標を達成することで、一時は充実感を得られるかもしれません。しかし、それらの目標をすべてクリアしてしまった時、「次は何をすればいいのだろう」と立ち尽くしてしまうことがあります。人生そのものに「意味」があるのか、なぜ生きるのかという問いに対して、明確な答えを見つけられないまま、漠然とした虚無感を抱えてしまうのです。この問いは、外に答えを求めるのではなく、私たち自身の内側に目を向けることで、その意味が見えてくるものです。人生は、誰かに与えられた脚本を演じるのではなく、私たち一人ひとりが、自らの意思で意味付けをしていくものなのです。

自らの役割を生きる:行動で示す真の目的

人生の意味は、私たちが社会の中で、どのような役割を果たしていくかによって見出すことができます。それは、決して大それたことである必要はありません。目の前の仕事に真剣に取り組み、誰かの役に立つこと。自分の持つ知識や技術、力を惜しみなく他者に提供していくこと。そうした日々の「与える」行為の積み重ねが、やがて私たち自身の「生きがい」へと変わっていくのです。例えば、会社で与えられた役割をただこなすだけでなく、その仕事が誰かの喜びにつながっていることを意識して取り組むこと。それは、自己中心的な考え方から抜け出し、他者との関わりの中で自分自身の価値を見出す大切な一歩となります。人生に「大義名分」が欲しいと感じる時、それは自分自身の役割を全うし、社会に貢献したいという心の声なのかもしれません。

永代供養に込める想い:私が紡ぐ供養の形

人生の意味を自らで決めることは、供養のあり方にも通じます。代々受け継がれてきたお墓や檀家制度の維持に困難を感じ、墓じまいを考えることは、決してご先祖様をないがしろにする行為ではありません。むしろ、それは、変わりゆく時代の中で、ご先祖様を大切に想う気持ちを新たな形で表現する、私たち自身の意思表明と言えるでしょう。「永代供養」は、ご遺族が未来にわたる供養の心配をせずに、心穏やかに日々を過ごせるよう、私どものお寺が提供する新たな供養の形です。宗教や宗派、国籍を問わず受け入れ、住職が毎日読経供養を行い、専門スタッフが管理・清掃を行うことで、ご先祖様はいつまでも大切に見守られます。この永代供養を通じて、私たちはご先祖様への感謝の気持ちを再確認し、自分自身の人生に新たな意味と安心感をもたらすことができるのです。

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