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「心の苦しみ」を紐解く:仏教が教える原因と供養

日々の暮らしの中で、私たちは様々な苦しみに直面します。それはまるで、心に絡みつく糸のように、私たちを縛りつけ、時には身動きが取れないほどに感じられます。この苦しみは一体どこから来るのでしょうか。今回は、その苦しみの根源を探り、心の平安へと導く仏教の教えについて、皆さんと共に深く考えてみたいと思います。

心の奥底に潜む「苦」の正体

私たちの心は、喜びだけでなく、怒り、悲しみ、不安といった様々な感情に揺れ動きます。私自身も、若い頃は「なぜ生きるのか」という問いに答えが見つからず、漠然とした苦しみを抱えた時期がありました。仏教では、私たちの肉体と心は密接に結びついているものの、その性質は異なると考えます。肉体は常に「今、ここ」に生きていますが、心は過去を記憶し、未来を想像することができます。この心の働きが、時として私たちを苦しめる原因となります。過去の後悔に囚われたり、未来への不安に苛まれたりすることで、私たちは「今、ここ」の現実から離れてしまい、心がバラバラになったように感じて生きづらさを覚えるのです。お墓の維持や承継、あるいは「墓じまい」といった供養の悩みも、その根底にはご家族やご先祖様、そして自身の未来への漠然とした不安、つまり心の「苦」が潜んでいると私は感じています。

苦しみの原因を「知る」智慧

仏教では、苦しみの根源は「執着」や「欲求」にあると説きます。私たちは、もっと欲しい、もっと認められたいという欲に囚われがちです。他人の幸せを羨む気持ちが、いつしか自分への恨みや妬みに変わってしまうこともあります。例えば、誰かの成功を「ああ、いいな」と感じる気持ちは、一歩間違えれば「なぜ自分にはないのか」という恨みへと転じてしまいます。しかし、自分の苦しみの原因を深く見つめ、「なぜそうなったのか」という問いを立てることで、私たちはその苦しみを軽減する智慧を得ることができます。相手の立場に立って物事を考える「同時(どうじ)」の精神もその一つです。誰かに何かを求める前に、まず自分が与えることを意識する。そうすることで、心に喜びが生まれ、不思議と周囲からも愛されるようになるのです。永代供養は、ご供養を巡る煩わしさや負担から心を解放し、ご先祖様への純粋な感謝へと心を向ける一助となるでしょう。

苦しみを手放し、平安を得る供養の道

苦しみを手放し、心の平安を得るためには、まず自分の置かれた状況を受け入れ、そして行動することです。それは、まるで人生という波を乗りこなすように、良い時も悪い時も、自分自身を磨き続けることです。そして、心の底から喜びを感じながら行動する「自発の精神」を持つこと。例えば、誰かのために自分の知識や時間、労力を使う「布施(ふせ)」の精神は、私たちに真の喜びと心の豊かさをもたらします。それは、物質的なものだけを指すのではありません。笑顔一つ、優しい言葉一つでも、相手に喜びを与えることができます。昌楽寺では、毎日住職が心を込めて読経供養を執り行い、ご先祖様への感謝の気持ちを育むお手伝いをさせていただいております。永代供養は、ご先祖様を大切にしながらも、未来の家族に負担を残さない「与える」供養の形です。この供養の道を通じて、皆様が心の苦しみを手放し、日々を穏やかに、そして心豊かに過ごせるよう、私どもは常に寄り添ってまいります。

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