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お金の不安は「心の羅針盤」

ある日、道端で見かけた一枚の葉っぱが、風に吹かれてどこへ向かうのか、じっと見つめていました。私たちの心もまた、お金という風に吹かれ、不安という影を落とすことがあります。どうすればこの不安と上手に付き合い、心の羅針盤を正しく動かせるのでしょうか。

お金は人生の目的ではない

私たちは日々の生活の中で、お金について考える機会が少なくありません。もちろん、生活していく上で大切であることは言うまでもありません。しかし、お金を稼ぐこと自体が人生の目的になってしまうと、いつしか心に空虚感が生まれることがあります。例えば、相場の浮き沈みに一喜一憂する人がいますが、これは、お金の変動そのものよりも、自分自身の心の動きが、お金の増減に強く反応しているからだと、私は感じています。
お金は、私たちがより良く生きるための「道具」です。人生の目的は、その道具を使って何を成し遂げたいか、どのような経験をしたいか、どのような社会に貢献したいか、という「志」にあるのではないでしょうか。かつて、ある相談者の方が、経済的には十分に豊かであるにもかかわらず、心から満たされないという悩みを打ち明けられました。なぜなら、その方はお金を稼ぐことに邁進する中で、「なぜ自分は生きているのか」という根源的な問いを見失っていたからです。お金という道具を手にしても、その使い方や目的が明確でなければ、心は真の喜びを感じることが難しいのです。

働くことの意味と与える喜び

では、私たちはお金とどのように向き合えばよいのでしょうか。仏教の教えには、「働く」という言葉の深い意味が込められています。それは「はた(傍)を楽にする」と書きます。つまり、自分の周りの人々を楽にすること、喜ばせることです。誰かの役に立ち、感謝されることで、私たちは心からの充実感を得ることができます。
ある時、私が事業を立ち上げた際、年配の女性にマネージャーをお願いしたことがあります。彼女は体力的な衰えを感じていましたが、働くことが好きで、周りの人々を明るくする力を持っていました。彼女の存在そのものが、周りの人々をやる気にさせ、それぞれの知恵と力を結集させる原動力となったのです。このように、自分の能力を最大限に発揮し、それを他者のために使うことは、私たちに大きな喜びをもたらします。
また、仏教には「布施」という教えがあります。これは、自分が持てるもの、知識や技術、力、あるいは笑顔であっても、惜しみなく他者に与えることです。与えることで、私たちは得る以上のものを手にします。それは、人とのつながりや心の豊かさです。私が活動を続ける中で、様々な企業から講演や研修の依頼をいただくことがありますが、これは私が何か製品を作って提供しているわけではなく、ただひたすらに、人々に知恵と生きるヒントを与え続けているからだと感じています。他者との関係性の中で、まず自らが与える側に立つこと。それが、心の豊かさ、ひいてはお金という形での恵みをもたらすのではないでしょうか。

心の豊かさを育むために

お金に対する不安を乗り越えるためには、まず「なぜ不安なのか」という自分の心の動きを見つめることが大切です。そして、自分が持つ能力や経験を、どのように社会に還元できるかを考えてみてください。定年を迎えた後も、会社での経験を活かしてコンサルタントとして活躍する方がいます。彼らは、これまでの経験を活かして、他者の問題を解決することに喜びを見出しています。
もし今、仕事がないと悩んでいらっしゃる方がいるならば、それは「なぜ自分には声がかからないのか」を深く反省し、学ぶ機会だと捉えることもできます。自分の知識や経験、能力を改めて書き出し、社会に提供できることはないかと考えてみてください。今の日本社会は人手不足であり、誠意を持って働く人を必ず求めています。
お金はただの道具であり、それに縛られる必要はありません。多くのものを得ることが自由だと勘違いしがちですが、本当に自由になるのは、多くのものを持っていても執着を手放していくことです。お金を稼ぐことの先に、自分が何を成し遂げたいのかという夢を持つこと。その夢が、私たちの人生に真の活力と心の豊かさをもたらす羅針盤となるでしょう。この羅針盤を正しく動かし、心の平安を得ることこそが、仏教が説く本当の幸福へとつながる道なのです。

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