生きづらさを変える智慧
「なぜか生きづらい」「満たされない」と感じる時、私たちはつい、他人と自分を比較して、劣等感や嫉妬の感情に囚われてしまいます。「あの人は結婚しているのに」「あの人はお金持ちなのに」と、他者の幸せを羨む気持ちは、やがて「恨めしい」という感情に変わり、私たちを孤独に追いやるでしょう。
しかし、本当の心の豊かさは、外側の状況や他人との比較では得られません。世の中には、十分な収入を得て、何不自由なく暮らしているにも関わらず、「人生に求めるものがなく、消化試合のように感じている」という人も少なくありません。反対に、貧しい生活の中で多くの子供を育て、最高にハッピーな人生を送っている家族もいます。この違いは一体どこから来るのでしょうか。
仏教の教えには、「貪瞋痴(とんじんち)」という三つの煩悩の根源があります。「痴(ち)」とは「愚かさ」、つまり物事の真実が見えていない状態を指します。他人と自分を比較し、勝った負けたと一喜一憂するプライドもまた、この「痴」から生まれるものです。SNSの「いいね」の数に依存し、自己承認欲求を満たそうとすることも、まさにこの「貪瞋痴」に支配されている状態と言えるでしょう。
私たちは、自分が本当に何を求めているのか、何が心の底から喜びをもたらすのかを、もう一度見つめ直す必要があります。表面的な成功や、他者からの評価に囚われず、自分の内側にある「満たされない心」の根源を識ることが、生きづらさを変える第一歩となるでしょう。
執着を手放し、自由になる道
私たちは誰しも、無意識のうちに様々なものに「執着(しゅうじゃく)」しています。それはまるで、強力な接着剤のように、私たちを特定のものや考え方にべったりとくっつけ、離れられなくしてしまうものです。仏教では、この執着を四つの種類に分類しています。感覚的な欲望への執着、自分の意見への執着、儀式や習慣への執着、そして「私」という自己への執着です。
特に現代社会では、SNSのようなテクノロジーが、これら四つの執着を高度に刺激するように設計されており、多くの人がその快感に溺れ、依存してしまっています。しかし、ひよこさんのように、自分が依存していることに気づけたなら、それは大きな救いです。
仏教の智慧は、この執着から「離(オリ)」れることを教えています。それは、自分が慣れ親しんだものを手放すことなので、最初はとても怖いと感じるかもしれません。しかし、この執着を手放すことで、私たちは真の成長を遂げることができます。
たとえば、私はYouTubeで動画を配信していますが、視聴者数や「いいね」の数には一切こだわりません。それは、そこから得られる承認や収入に依存していないからです。もし皆さんが「つまらない」と言えば、いつでもやめることができます。このように、自分が外部からの評価や物質的なものに依存しない生き方を実践することで、私たちは心の自由を得られます。あなたがもし、何かに依存していると感じるなら、まずはそこから意識的に距離を置いてみてください。そして、「SNSがなくても大丈夫な自分」を経験することで、自分自身との関係を深め、真の自由へと足を踏み出せるでしょう。
「与える喜び」から生まれる本当の豊かさ
人生の生きづらさを変える最も確かな智慧は、「与える」という行動にあります。私たちは皆、何かを「受け取る」ことで生きていますが、そればかりでは心は満たされません。本当の心の豊かさは、自分が持っているものを惜しみなく他者に与え、その喜びを分かち合うことから生まれます。
仏教の「抜苦与楽(ばっくよらく)」という言葉は、「苦しみを抜き、楽を与える」という意味です。これは、苦しんでいる人に寄り添い、喜びや勇気、智慧を与えていく菩薩の生き方を指します。私たちが誰かの役に立つ人間になろうと努力する時、それは単に物質的なものだけでなく、言葉、知識、経験、そして何よりも「笑顔」や「思いやり」という形でも実践できるのです。
私のお寺の近くにある幼稚園の先生たちは、ほとんどすっぴんで、子供たちと全身で遊び、心から楽しんでいます。その姿は、どんな着飾った姿よりも輝いて見えます。それは、彼らが子供たちに惜しみなく愛情とエネルギーを与えているからです。赤ちゃんが生まれたばかりの頃、化粧などしていなくても皆に可愛がられるように、人間本来の魅力は、与えることによって磨かれていくものです。
あなたは今、「誰かに尽くされたい」という受け身の姿勢から、「誰かに与えたい」という能動的な願望へと変化しようとしています。これは素晴らしい変化です。与えることで、あなたの心は温かさに満たされ、真の心の豊かさを実感できるでしょう。会社で働くことも、子育てをすることも、誰かのために何かをすることも、すべては「与える」という尊い行為につながります。自分の持っている力を社会や他者のために使うことで、あなたは経済的にも精神的にも自立し、生きづらさとは無縁の、真に豊かな人生を歩むことができるはずです。