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不器用でも私は変われる:習慣が拓く先祖供養の道

誰もが心の中で「変わりたい」と願う瞬間があるのではないでしょうか。私もまた、自身の不器用さに悩む一人として、どうすれば望む自分になれるのかを模索してきました。この変化への道のりには、特別な才能は必要ありません。ただ、一つのことに真摯に向き合い、地道な習慣を積み重ねること。そして、私たちの人生の土台を築いてくださった先祖に思いを馳せる心が、私たちを大きく成長させてくれるでしょう。

不器用な私の始まり

幼い頃の私は、決して器用な人間ではありませんでした。何か新しいことを始めるたびに、周りの子たちのように器用にこなせず、もどかしい思いをしたものです。特に、人とのコミュニケーションにおいては、自分の気持ちをうまく伝えられず、誤解を招いたり、人見知りをしてしまったりすることが多々ありました。まるで、頭でわかっていても、体や心が思うように動いてくれないような感覚です。
しかし、不思議なことに、そんな不器用な自分を、私はどこかで受け入れていました。自分は器用ではないと自覚していたからこそ、自己流に走らず、何かを成し遂げている人を素直に「真似る」ことから始めたのです。それは、まるで幼い子どもが、親や友人の行動を無邪気に模倣しながら、様々なことを学んでいく姿と似ているかもしれません。
たとえば、私が大型バイクの免許を取ろうとした時のことです。私は決して運動神経が良いわけでも、器用なわけでもありません。しかし、教官の模範運転を穴が開くほど見つめ、その体の使い方、足の運び、ブレーキのタイミングなどを、ノートに必死にメモしました。そして、それを何度も何度も自分の体で再現しようと試みたのです。これは、私が長年武道を続けてきた中で培われた「学ぶ」姿勢でもありました。不器用であることを自覚し、自己流を捨て、素直に先人の智慧に耳を傾け、その通りに実践すること。これが、私の変化への第一歩でした。

変化への挑戦と「学ぶ」力

「変わりたい」という思いはあっても、実際にその一歩を踏み出すことは、時にとても難しいものです。私たちは、これまでの経験や習慣に囚われ、まるで窓ガラスに何度もぶつかるスズメのように、出口を見つけられずに苦しむことがあります。しかし、その窓ガラスのどこかに、必ず開いている窓があるのです。
自分を変えるためには、まず、これまでの自分を一度「死んだ」ものと捉えるほどの覚悟が必要です。それは、過去の体験や習慣、身につけてきた知識といった「自分の殻」を、思い切ってかなぐり捨てることを意味します。そして、その上で、今までの生活サイクルとは全く異なる環境に、強制的に自分を放り込んでみるのです。厳しい先生のいる道場に通う、あるいは新しい場所で、新しい挑戦をする。言葉で学ぶだけでなく、実際に体で、心で、実践を通じて学ぶことが不可欠です。
例えば、子どもが自転車に乗れるようになる時、親が言葉でいくら教えても、なかなかうまくいかないものです。しかし、自転車に乗っている友達の姿を間近で見れば、あっという間に乗れるようになることがあります。これは、人間が、近くにいる人の影響を強く受け、言葉以上に感覚的に「匠」の技を掴むことができる証拠です。尊敬できる「師」や「先輩」のそばで時間を過ごすことで、彼らの言葉遣いや人との距離感、心遣いといったものが、自然と自分の中に染み込んでいくのです。不不器用な私でも、その「真似ぶ」力、つまり「学ぶ」力を大切にすることで、少しずつ自信をつけ、変化していくことができました。

習慣が人生を拓く、先祖供養の智慧

自分を変えることは、一時的な努力や根性に頼るだけでは難しいものです。大切なのは、日々の「習慣」として、その変化を定着させること。そして、その習慣を継続する中で、私たちは心の奥底に眠る「仏性」、つまり誰もが持つ可能性を開花させることができます。
私たちがどんなに小さなことでも、感謝の気持ちを持って人々に与える「布施」の心を実践し、それらを習慣化していくと、人生は思いがけない方向へと拓かれていきます。それは、金銭的な豊かさだけでなく、心の豊かさ、そして人との繋がりを深めることにも繋がります。
私たちの先祖もまた、それぞれの時代で様々な困難に直面しながら、日々の生活を営み、智慧を培い、それを子孫である私たちに受け継いできました。先祖供養は、単に過去の人を祀るだけでなく、私たち自身のルーツを見つめ、受け継がれてきた命の尊さ、そして困難を乗り越えてきた先人たちの生き様から学ぶ機会でもあります。
不器用であっても、変わりたいと強く願い、尊敬できる人から素直に学び、地道な実践を習慣としていくことで、誰もが望む自分へと成長できます。そして、その変化の過程で得られる心の豊かさは、きっと私たちの先祖も喜んでくれることでしょう。日々の小さな努力と先祖への感謝の心が、私たちの人生を豊かに拓いてくれると信じています。

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