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「人生の試練」を乗り越える智慧

私たちの人生には、予期せぬ困難や、乗り越えられないと感じるほどの試練が訪れることがあります。心が折れそうになる時、私たちはどうすればその苦しみを受け入れ、再び前を向いて歩き出せるのでしょうか。今回は、人生の試練を乗り越えるための智慧についてお話しします。

苦しみの「本質」を知る

人生に困難が訪れた時、私たちはまず「なぜ私だけがこんな目に遭うのか」と、その不公平さに怒りや悲しみを感じがちです。しかし、仏教では「一切皆苦(いっさいかいく)」、つまり「人生は苦しみに満ちている」と説きます。これは、大事故や別れのような大きな出来事だけでなく、電車の遅延やちょっとした寒さ、暑さといった日常のささいな不快感も含まれる、という深い洞察です。
ある女性は、長年の不妊治療の末、子どもを授かることを諦めました。多忙な夫との関係も冷え込み、仲の良い夫婦や子連れの家族を見るたびに涙が溢れ、「いっそ一人になりたい」とすら考えていました。彼女は、自分の努力ではどうにもならない現実に苦しんでいたのです。
こうした時、私たちは苦しみから逃げようとしたり、その原因を他者に求めたりしがちです。しかし、苦しみは人生に常に存在し、誰にでも平等に訪れる「自然の摂理」であると知ることは、私たちを少しだけ楽にしてくれます。自分の人生が「苦」に満ちていると感じる時、それはあなたが「生きている」証であり、成長の機会でもあるのです。
真の智慧とは、苦しみそのものを消し去ることではなく、苦しみの本質を理解し、それとどう向き合うかを知ることなのです。

「受け入れる」力と「行動」の勇気

困難に直面した時、私たちはまずその現実を「受け入れる」ことから始める必要があります。それは、諦めることや、負けを認めることとは違います。ただ、「今、目の前にある現実がどういうものなのか」を冷静に観察するということです。
職場のハラスメントに苦しみ休職していた男性が、「再びその職場に戻る勇気をください」と私に尋ねてきたことがあります。私は彼に「逃げてもいい」と伝えました。しかし、もし彼が戻る覚悟を決めたのなら、「戦いなさい」と。戦うとは、「己を知り、相手を知り、仕事を知る」ことです。これは、闇雲に立ち向かうのではなく、現状を徹底的に分析し、準備を重ねることで、恐怖心を減らす智慧に他なりません。
また、過去の辛い出来事がフラッシュバックし、苦しむ女性からの相談もありました。彼女は、かつての暴力を受けた記憶に今も苛まれていました。私は彼女に「泣きたい時には泣けばいい」と伝えました。そして、「その出来事をまるで他人の過去を眺めるように、何度も思い出すこと」を勧めました。そうすることで、記憶の痛みは徐々に薄れ、客観的に捉えられるようになるのです。
私たちは、時に自分の弱さや痛みに蓋をしようとします。しかし、自分の内なる感情から逃げず、それと向き合う勇気を持つこと。そして、その上で「今、自分にできることは何か」と考え、具体的な行動を起こすこと。これこそが、困難を乗り越えるための「智慧」であり、「勇猛心」なのです。

与え、そして「知恵」を磨く

困難を乗り越える過程で、私たちはしばしば孤独を感じます。しかし、真の「自立」とは、一人で全てを抱え込むことではありません。仏教では、「与える」ことが「自立」へと繋がると説きます。私たちは、誰かに何かをもらうことで喜びを感じますが、それがエスカレートすると「もっと欲しい」という貪欲な心に囚われてしまいます。
自分自身が満たされないと感じる時、あるいは他者との関係に疲弊している時こそ、私たちは「与える」ことに意識を向けてみましょう。それは、お金や物でなくても構いません。自分の笑顔、知識、時間、あるいは身近な人の困り事に手を差し伸べることでも良いのです。
「与える」という行為は、単なる利他心だけでなく、私たち自身の「智慧」を磨く機会でもあります。相手にとって本当に役立つこととは何か、どうすれば相手を喜ばせられるのか、と考えることで、私たちの思考は深まり、新たな気づきが生まれます。
私たちの先祖もまた、子孫のために、社会のために、惜しみなく与え続けてきました。先祖供養とは、単に過去の行事を繰り返すだけでなく、先祖が築き上げてきた基盤に感謝し、私たちもまた次世代へと「与え続ける」という智慧を受け継ぐ行為です。
もし今、困難の中で立ち尽くしているなら、まずは自分の中の「与えたい」という小さな光を見つけてください。その光が、あなたの心に温かさをもたらし、あなたが困難を乗り越え、より豊かな人生を歩むための道しるべとなるでしょう。

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