「報われない努力」その先に光は

私たちの人生には、努力しても報われないと感じる瞬間が訪れることがあります。そんな時、「このままでいいのだろうか」と立ち止まってしまうのは、ごく自然な感情です。では、報われない努力の苦しみを乗り越え、新たな光を見出すためには、どうすれば良いのでしょうか。
努力の方向性を問い直す
私たちの多くは、目標に向かって一生懸命努力します。朝早く起き、夜遅くまで働き、休みの日も惜しんでスキルを磨く。これらは素晴らしい姿勢です。しかし、時に私たちの努力は、望む結果に結びつかないことがあります。まるで、熱心に坂道を登り続けているのに、それが目指す山の頂上とは違う方向だった、というようなものです。
ある男性は、長年勤めた職場で準社員への昇格を目指し、懸命に働きました。彼は誰よりも早く出社し、残業もいとわず、仕事のスピードも速かったといいます。しかし、二度の昇格試験に落ちてしまい、同期の若い女性が一度で合格したことに不公平さを感じ、会社への不信感を募らせていました。彼は自分がこれほど努力しているのに、なぜ報われないのか、理解に苦しんでいました。
彼のように、私たちは「これだけ頑張っているのだから、認められるはずだ」と考えがちです。しかし、本当に大切なのは、その努力が「誰にとって価値があるのか」「何のために行われているのか」という視点です。試験であれば、採点者の視点に立ち、何が評価基準なのかを深く理解する必要があります。会社であれば、顧客や会社が何を求めているのかを正確に捉え、そこに自分の努力を向ける必要があります。
私たちが「良かれ」と思って行っている努力が、相手にとって望ましい形でない場合、それは評価されにくいものです。この時、「頑張っているのに」という不満や「不公平だ」という怒りが生まれるのは自然なことですが、そこで立ち止まるのではなく、もう一度、自分の努力の「方向性」を問い直す智慧が必要なのです。
客観的な視点と学びの姿勢
「努力が報われない」と感じる時、私たちは自分自身の努力を過大評価し、周囲の状況を客観的に見ることが難しくなります。先の男性の例のように、彼は自分の努力は十分であると信じていましたが、試験官の視点から見れば、彼に足りないものがあったのかもしれません。
私たち人間は、感情の生き物ですから、自分のこととなると冷静な判断が難しくなるものです。そこで、私たちは「己が身をよく整え、目的を達成する」という仏教の教えに学ぶことができます。これは、自分の内面と外面を整え、目標達成のために必要な準備を怠らないという意味です。
では、具体的にどう整えるのか。それは、自分よりも優れた成果を出している人、尊敬できる人を見つけ、その人の行動を「真似ぶ(まなぶ)」ことから始めるのです。「真似ぶ」とは、ただ猿真似をするのではなく、その人の思考や行動の意図を深く理解しようと努め、自分に取り入れることです。
私が若い頃、大型バイクの免許取得に苦労した経験があります。私は左足首に障害があり、バイクの操作に支障をきたしていました。努力してもなかなか上手くいかない中で、教官や先輩の動きを徹底的に観察し、真似ることで、自分の身体の特性を補う工夫を凝らしました。そうやって、何度も失敗を繰り返しながらも、最終的には免許を取得することができました。これは、自分自身の弱点を受け入れ、他者から学び、具体的な行動に落とし込むことで、困難を乗り越える一例といえるでしょう。
「与える」ことで拓く未来
努力が報われない時、私たちは「もっと欲しい」「もっと認められたい」という「欲」の感情に囚われがちです。しかし、仏教では「与える」ことの重要性を説きます。お釈迦様ご自身も、一切の生産活動を行わずとも、人々からの布施によって生活に困ることはありませんでした。それは、彼が人々に「智慧」や「思いやり」を与え続けたからです。
私たちは、自分が持っている知識、技術、時間、さらには笑顔でもいい、惜しみなく誰かに差し上げることを実践すべきです。そうやって人を喜ばせ、人の役に立つことで、自然と周りに人が集まり、富も集まってきます。自分の努力が、誰かの喜びや社会の役に立っているという実感が、私たちに真の「報われ」をもたらすのです。
先祖供養もまた、「与える」という行為の一環と捉えることができます。亡き先祖に感謝し、その存在を敬うことは、私たちの心に温かさをもたらし、生かされていることへの感謝を育みます。形ばかりの供養ではなく、心を込めて先祖の霊に「感謝」や「平和」を捧げることで、私たち自身の心も満たされ、孤独や虚しさから解放されるでしょう。
報われない努力の苦しみを抱えているなら、まずは自分の心を見つめ、何に囚われているのかを知りましょう。そして、自分の持てるものを惜しみなく与え、他者の喜びを自分の喜びとすることで、あなたの努力は必ずや、あなた自身の、そして周囲の人々の「報われ」へと繋がっていくはずです。