人生は修行、私の日常

朝、お寺の庭を掃きながら、私はいつも「人生は修行である」という言葉を深く感じます。私たちは皆、日々の忙しさの中で様々な困難に直面し、「人生はなぜこんなに苦しいのだろう」と感じることもあるでしょう。しかし、仏教の教えに目を向ければ、私たちの日常そのものが、心を磨き、豊かな人生を築くための尊い修行の場であると気づくことができます。今日は、私の日常を通じて、その智慧をお伝えします。
「修行」とは何か?
「修行」と聞くと、あなたはどんなイメージを抱くでしょうか。もしかしたら、山奥に籠もり、滝に打たれたり、座禅を組んだりするような、特別な訓練を思い浮かべるかもしれません。確かに、そういった肉体的な苦行や、精神統一のための実践も、仏教における修行の一つの形です。私自身も、若かりし頃に修行道場で、厳しい規律と、時には肉体の限界まで自分を追い込むような経験をしました。しかし、修行の本質は、決してそれだけではありません。
修行とは、一言で言えば「自分を知り、自分を成長させる」ための営みです。それは、自分の弱さや限界を認識し、それを乗り越えようと努めることです。また、不要なものを手放し、心を清らかに保つ「捨てる」作業でもあります。私たちが日々感じている様々な感情、例えば怒りや不満、嫉妬といった心持ちも、修行の対象となります。それらとどう向き合い、どう手放していくかが、心を磨く大切なプロセスなのです。
そして、修行には「本気」が求められます。表面的な努力や、一時的な頑張りではなく、心から「変わりたい」「成長したい」と願う本気の姿勢です。それは、何かに打ち込む時の集中力にも通じます。例えば、私が空手の稽古に打ち込んでいた時も、ただ漫然と技を繰り返すのではなく、常に自分の限界を超える「本気」が求められました。そうすることで、心身ともに磨かれ、予期せぬ能力が開花することもあるのです。先祖供養もまた、単なる形式ではなく、ご先祖様への「本気」の感謝と敬意を捧げる大切な修行であり、その営みを通して私たち自身の心が深まっていくのを感じることができます。
日常生活の中の修行
では、私たち一人ひとりの「日常」は、どのように修行の場となり得るのでしょうか。仏教の教えでは、「究極の日常」という言葉があります。これは、日々の「同じことの繰り返し」の中にこそ、人生の深まりや、真の喜びがあるという考え方です。朝起きて顔を洗い、食事をし、仕事に出かけ、家事をこなし、そして眠りにつく。この一見単調な日々の営みの中にこそ、心を磨くための豊かな機会が隠されています。
例えば、お寺での私の日常も、ほとんどが同じことの繰り返しです。毎朝の掃除、勤行、そして食事の準備。しかし、私はその一つひとつの行為に心を込めるよう努めています。庭を掃く時、ただ汚れを取り除くだけでなく、自分の心の塵も一緒に掃き清めるような気持ちで行います。食事をする時も、ただ空腹を満たすだけでなく、食べ物を与えられたことへの感謝の気持ちを込めていただきます。そうすることで、同じことを繰り返しているにも関わらず、毎日が新鮮で、新たな気づきに満ちたものとなるのです。
自然との触れ合いも、大切な修行です。朝日に輝く木々、風に揺れる草花の音、雨の匂い、土の感触。五感を研ぎ澄ませて自然を感じることで、私たちは大いなる生命の営みと共鳴し、心が揺さぶられる体験をすることができます。これは、心を豊かにし、集中力を高めることにも繋がります。
また、自分の「役割」を果たすことも、日々の修行です。家庭での役割、職場での役割、そして社会での役割。たとえ小さなことであっても、自分の立場において求められることを誠実に、そして喜びを持って行うことで、私たちは他者に貢献し、やがては自分自身も満たされていきます。先祖供養の際、ご先祖様方がそれぞれの時代で果たした役割に思いを馳せ、その功績を称えることは、私たち自身の役割を深く理解し、感謝する機会となるでしょう。
修行がもたらす心の変化
このような日々の修行を積み重ねることで、私たちの心にはどのような変化が訪れるのでしょうか。まず、最も大きな変化は「心の平安」を得られることです。不安や不満、怒りといった心の波に翻弄されることが少なくなり、穏やかで満たされた心境で日々を過ごせるようになります。これは、仏教が目指す「心の豊かさ」に他なりません。
また、修行は私たちを「成長」させます。自分の弱点を克服し、新しいことに挑戦する中で、私たちは人間として一回りも二回りも大きくなります。そして、困難な状況に直面しても、それを乗り越えるための「強さ」と、他者の苦しみに寄り添う「優しさ」を育むことができるのです。私自身も、修行を通して得た最も大きなものは、どんな状況でも揺るがない心の軸と、他者への深い共感力でした。
さらに、日々の修行は私たちに「喜び」をもたらします。それは、表面的な楽しさとは異なり、内側から湧き上がるような、深く穏やかな喜びです。たとえ辛いと感じる状況であっても、その中に意味を見出し、前向きに取り組むことができるようになります。そして、他者に貢献する喜び、感謝の気持ち、そして自己成長の喜びを、心から感じられるようになるでしょう。
「人生は修行である」という言葉は、決して私たちを苦しめるものではありません。それは、私たちの日常すべてが、心を磨き、豊かな人生を築くための尊い機会である、という仏教からの温かいメッセージなのです。今日から、あなたの身近なこと、日々の小さな営みの中に、修行の種を見つけてみませんか。先祖供養を行う時間もまた、ご先祖様との繋がりを感じ、心の平和を育む大切な修行の時間となるでしょう。