死への不安を乗り越える仏教の教え

あるご家族から、余命宣告を受けた方のお話を聞きました。 人は誰しも、いつか来る「死」というものに不安を感じるものです。 しかし、仏教の教えは、その不安を和らげ、穏やかに生きる道を示してくれます。
誰もが避けて通れない「四苦」
私たちは誰もが、この世に生まれ、必ず「死」を迎えます。仏教では、人生には「生老病死」という四つの根本的な苦しみがあると説きます。生まれること、老いること、病気になること、そして死ぬこと。これらは、誰もが避けられない現実であり、人間である限り、必ず経験するものです。
特に「病」や「死」は、私たちに大きな苦痛と不安をもたらします。末期がんを患いながらも日々を大切に過ごしている方、若くして重い病気と闘うお子様を持つ親御様など、多くの方が死への不安や苦しみに向き合っています。しかし、お釈迦様は、これらの苦しみは、楽を求める私たちの影にある現実であり、生きること自体が苦であると説かれました。
人生は有限です。私たちの体は細胞でできており、細胞自体は120年生きられるとも言われますが、平均寿命は限られています。50歳は人生の大きな節目であり、体力の衰えを感じ始める時期でもあります。60歳からは「下り」に入るとも言われ、確実に時間というものは減り続けています。だからこそ、今、この瞬間をどう生きるかが問われます。死に向かって生きていると認識すれば、今日一日を無駄に過ごすことはできません。
命のあり方を受け入れる智慧
死への不安を乗り越えるためには、まず命のあり方をありのままに受け入れる智慧が必要です。「災難に遭う時は災難に遭うがよく候、死ぬる時は死ぬがよく候」という言葉は、一見冷たいように聞こえるかもしれません。しかし、これは、人生で起こる全てを腹をくくって受け入れることが、真の慰めであり、苦しみから解放される道であると教えています。
病気になった時、回復を願うのは自然なことです。しかし、常に死の恐怖に晒されている患者様の心を考えると、単に「頑張って」という言葉だけでは足りません。病気をきっかけに、これまで物質的なものにばかり関心を向けていた心が、精神的な成長や宗教的な価値観へと向かうことがあります。肉体は病に侵されても、人間としての深みや豊かさを増していく姿を、私もこれまで多く見てきました。
たとえ余命を宣告されたとしても、それが必ずしも現実になるとは限りません。余命3ヶ月と言われた方が、8年、9年と元気に生きていらっしゃる例もあります。命のあり方は分からないものです。この不確実性を受け入れ、目の前の状況にジタバタせず、落ち着いて向き合うことが大切です。
生きている今を大切にする
死への不安を和らげるためには、生きている今の時間をどのように過ごすかが重要です。不安や苦しみに囚われ、思考が停止してしまうと、さらに苦しい状況に陥ります。大切なのは、まだ生きているうちに、今できることを考え、行動に移すことです。
もし、病気や経済的な問題で困難に直面しているなら、住宅ローンなど具体的な解決策について銀行に相談することも、心を安定させる一歩になります。弁護士ではなく、まず自分で誠意をもって事情を話すことで、柔軟な対応が得られることもあります。生活の出費を見直し、無駄をなくすことで、心がシンプルになり、お金への恐怖も和らぎます。
そして、家族との対話も非常に大切です。自身の葬儀や死後のことについて、ご家族と話し合うことは、最初は辛いかもしれません。しかし、そこを乗り越えることで、ご家族も「死」について真剣に考える機会を得ることができ、残された時間の過ごし方や、今後の人生について深く考えるきっかけとなります。
ご先祖様への先祖供養も、生きている私たちにとって大きな意味を持ちます。ご先祖様は、私たちの命の源であり、共に生きています。感謝の気持ちを込めて先祖供養を行うことで、ご先祖様も安らかに休むことができ、それが私たち自身の心の安心へと繋がるのです。死は終わりではなく、次へと続く命の循環の一部。今を大切に生き、ご先祖様との絆を深めることが、死への不安を和らげ、心穏やかな人生を送るための智慧となるでしょう。