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仏教に学ぶ、私の生き方~心の平安を見つける道~

私たちは皆、日々の生活の中で、様々な「苦しみ」を経験します。それは人間関係の悩みであったり、仕事の重圧であったり、未来への漠然とした不安であったりするでしょう。仏教の教えは、そのような苦しみを手放し、心の平安を得るための智慧を与えてくれます。本日は、その生き方についてお話しいたします。

苦しみの原因を知り、手放す智慧

仏教では、私たちの苦しみの原因は、外の世界にあるのではなく、私たち自身の心の中にある「執着」や「欲」にあると説きます。何かを「もっと欲しい」と強く願ったり、自分の意見や考えに固執したり、あるいは過去の出来事に囚われたりすることで、私たちは自ら苦しみを生み出してしまうのです。
例えば、先祖供養の「墓じまい」を検討する際、従来のやり方に固執しすぎると、それがかえって心の負担となることがあります。お墓を守る人がいない、遠方でなかなかお参りに行けない、経済的な負担が大きいなど、様々な現実的な問題があるにも関わらず、「こうあるべきだ」という思いに囚われすぎると、苦しみが増してしまうのです。
仏教の教えは、そうした執着を手放し、「考える」ことの重要性を説きます。感情に流されるのではなく、物事の本質を冷静に見つめ、智慧を持って対処すること。永代供養という新しい供養の形は、まさにこの智慧の実践と言えるでしょう。伝統を重んじつつも、時代の変化を受け入れ、より現実的で持続可能な供養の道を選ぶことが、心の平安へと繋がります。

他者への慈悲と、自己との向き合い方

「自分一人で生きているわけではない」という真理は、仏教の根幹にある教えの一つです。私たちは皆、様々なご縁の中で生かされており、他者への「慈悲」の心を持つことが、自らの幸福にも繋がります。しかし、他者を思いやるあまり、自分を犠牲にしすぎたり、逆に自分のことばかり考えてしまったりすると、心のバランスを崩してしまいます。

大切なのは、「自分と他人を区別しない」という仏教の考え方です。それは、自分自身の幸せと他者の幸せを同時に願うこと。自分の心が満たされているからこそ、他者にも優しくできるのです。昌楽寺では、宗教や宗派、国籍を問わず、どなた様にも開かれたお寺でありたいと願っています。これは、皆様一人ひとりの苦しみに寄り添い、慈悲の心を持って接することを大切にしているからです。

また、自分自身と深く向き合うことも、仏教に学ぶ生き方の大切な要素です。人生の意味や目標が見つからず、虚無感を抱えることもあるでしょう。しかし、その問いかけこそが、私たちを成長させる機会となるのです。目の前の仕事に一所懸命に取り組むこと、そして、たとえ今は目的が見えなくても、地道な努力を続けること。それが、いずれ大きな光となって、私たちの道を照らしてくれるはずです。

日常の中の修行と、感謝の心

仏教の修行は、何も特別な場所で行うだけではありません。日々の生活そのものが、修行の場となり得るのです。家事や育児、仕事といった「毎日同じことの繰り返し」の中にこそ、人生の深い喜びや学びが隠されています。そして、その日常を豊かにする鍵は、「感謝の心」にあります。
私たちは、当たり前のように享受している恵みに、なかなか気づくことができません。食事ができること、安心して眠れること、家族がいること、仕事があること。一つ一つに感謝の気持ちを持つことで、何気ない日常が、かけがえのない喜びに満ちたものへと変わっていきます。
昌楽寺の永代供養は、単なる墓地の提供ではありません。住職による毎日の読経供養、専門スタッフによるきめ細やかな管理・清掃は、故人様への感謝、そしてご先祖様から受け継いだ命への感謝を形にするものです。檀家制度なしで、誰もが気軽に供養できる環境は、現代を生きる皆様が、心の豊かさを育むための一助となることを願っています。この姫路の地で、仏教の智慧を日々の生活に取り入れ、心の平安を見つけるお手伝いをさせていただければ幸いです。

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