習慣の種、未来を育む庭
毎朝、お寺の庭を掃き清める中で、ふと、同じ作業を繰り返すことの意味を考えます。私たちの人生もまた、日々の小さな習慣が積み重なってできています。もし今、思うようにいかないと感じているなら、その習慣の種を見つめ直すことで、未来の庭を豊かに育むことができるかもしれません。
日々の繰り返しに潜む力
私たちの生活は、意識しているかどうかにかかわらず、様々な「習慣」によって形作られています。朝起きてまずスマートフォンをチェックする、食事中にニュースを見る、通勤中にゲームをする。これらは、無意識のうちに身についてしまった習慣かもしれません。しかし、この小さな習慣の積み重ねが、私たちの集中力や心の状態、ひいては人生全体に大きな影響を与えているのです。
ある時、私の母は、70歳を過ぎてから琴を習い始めました。日中は忙しいにもかかわらず、彼女は毎朝3時から4時には起きて練習をしていました。最初は小さな音でしたが、毎日続けるその姿は、私にとって大きな気づきとなりました。継続するということは、単なる努力の積み重ねではなく、日々の生活の中に「楽しくなってしまう工夫」を見つけ、それを「精進」として続けることです。一時期だけ頑張ることは誰にでもできますが、10年、20年と続ける人はほとんどいません。その違いは、どれだけ「楽しませ続けることができるか」にあると、私は考えます。
「精進」で自分を磨き続ける
仏教には「精進」という教えがあります。これは、単に努力することとは少し意味合いが異なります。お釈迦様は、人生における迷いや困難を乗り越える術として、「精進しなさい」と説かれました。具体的には四つの「なすべき精進」があるとされています。
一つは、今行っている良くない行いを「やめる努力」です。二つ目は、まだ行っていないが将来してしまうかもしれない良くない行為を「しない努力」です。三つ目は、既に行っている良い行いを「継続する努力」。そして四つ目は、まだ行っていない良い行いを「始める努力」です。これらは、私たちが望む未来を築くために、日々の習慣を意識的に選び、行動していくことを教えています。
かつて、私の大学の同級生が、空手を始めた途端に生活が大きく変わったことがありました。朝早く起きて走り、学校では鉛筆を持つ手が震えるほどトレーニングを積んでいました。格闘技に興味があったわけではなく、むしろ弱点を克服したいという思いから始めたそうですが、彼はその中で、自分を律し、困難を乗り越える力を身につけていきました。彼のように、自分が最も苦手だと感じることを克服しようと「精進」することは、大きな変化を生み出すきっかけとなります。
「変わりたい」その一歩を踏み出す勇気
もし今、「変わりたい」と思いながらも、なかなか一歩が踏み出せないと感じているなら、それはこれまでの自分を縛っている習慣や過去の経験に執着しているのかもしれません。まるで部屋に迷い込んだスズメが、開いている窓があるにもかかわらず、閉じた窓ガラスに何度もぶつかっているかのようです。
自分を変えることは、言葉で言うほど簡単ではありません。しかし、「出家」という言葉が示すように、知らず知らずのうちに身についた習慣を捨て去る「覚悟」を持つことが、その扉を開きます。それは、経済的な状況や時期が来るのを待つことではありません。本当に変わりたいと願ったその瞬間に、何の準備もなく、過去の自分をかなぐり捨てて、一歩を踏み出すことです。
人生はアップダウンの波の連続です。特に困難な時期に直面した時こそ、私たちは深く考え、学び、成長する機会を得ます。自分がなりたくない状況を明確にし、その状態に陥らないためには何をすべきかを必死で考える。そして、たとえ面白くなくても、目の前にあるできることを全力でやってみる。そうすることで、新たなご縁や可能性が拓けてくるのです。小さな習慣の種を蒔き、日々の精進という水を与えることで、あなたの人生という庭は、必ず豊かな実りを結ぶことでしょう。