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自分を信じる、私の方法

「自分を信じる」と聞くと、完璧な自分をイメージし、できないことや苦手な部分を隠そうとしてしまうかもしれません。しかし、本当の自信とは、自分の良いところも、足りないところも、丸ごと受け入れることから始まるのではないでしょうか。
私たちは、社会に出てから初めて「自分とは何か」という問いに直面することが多くあります。学校教育では、自分の外側の知識を学ぶことに集中し、自分の内面を見つめる機会が少ないからです。しかし、20代、30代になっても、この「私とは何か」という問いは、私たちを迷わせ続けます。
私は決して器用な人間ではありません。しかし、自分が何かを成し遂げようと決意した時、自己流に走るのではなく、その道の先人や、尊敬できる人の真似をすることから始めます。これは「学ぶ(まねぶ)」という言葉の語源とも言われる、古くからの智慧です。たとえば、大型バイクの免許を取ろうとした時、私は何度も模範運転を観察し、それを自分の体で再現しようと努めました。最初はうまくいかなくても、真似ることで、少しずつ理想の動きに近づいていけるのです。
自信は、最初から備わっているものではありません。小さな行動の積み重ね、そして自分を客観的に見つめることで、少しずつ育っていくものです。自分に何ができるか分からない、突出した能力がないと感じる時こそ、まずは身近な「尊敬できる人」を見つけ、その人の行動を真似ることから始めてみましょう。

行動が拓く「自分を信じる」道

私たちは皆、頭の中で様々なことを考え、計画を立てがちです。しかし、どれだけ考えても、行動が伴わなければ、何も変わりません。特に、自分の弱点や苦手なことに関しては、なかなか一歩を踏み出せないものです。
私はかつて、極度に人見知りで、人前で話すことや、自分の感情を表現することが苦手でした。しかし、この弱点を克服しなければ、自分は成長できないと感じていました。そこで、自分が最も苦手だと感じていた「空手」の世界に飛び込みました。正直なところ、空手自体には興味がなく、殴り合いや痛いことは嫌いでした。しかし、この「苦手なこと」に敢えて挑戦し、逃げずにやり続けることで、私は人生における大切なことを学びました。
朝早く起きて走り込み、学校で手が震えるほど練習を続けた同級生の姿を見て、最初は馬鹿にしていた周りの人々も、やがて彼の変化に驚き、私は彼を羨ましく思うようになりました。彼がストイックに自分を鍛える姿は、まさに「行動が人を変える」ことの証明でした。

人生において、明確な目標が見つからず、やる気が起きない時期もあるでしょう。そんな時こそ、私は「今こそ修行の時だ」と心に言い聞かせ、目の前の「楽しくない」「苦しい」と感じることに全力で取り組みます。たとえそれが単なるアルバイトであっても、目の前の作業に一生懸命になることで、新たな出会いや可能性が拓けるものです。行動を起こせば、必ずその努力を見て、心動かされる人が現れるでしょう。そして、その出会いが、あなたの人生に新たな道を開いてくれるはずです。

弱さを受け入れ、己を磨く智慧

私たちは、自分の弱点や欠点を隠そうとしがちです。しかし、仏教の智慧は、その弱さを受け入れ、敢えて向き合うことの重要性を説いています。それは、自分を責めることではなく、「自分はこういった性質を持っているのだ」と冷静に理解することです。

感受性が強く、人混みや騒音で疲れてしまう人(HSPと呼ばれる気質を持つ人)のように、私たちは皆、それぞれ異なる気質を持っています。完璧な人間などどこにもいません。私自身も、世間でいう「発達障害」的な要素を持っていると自覚しています。しかし、だからこそ、私は周囲の人に不快な思いをさせないよう、自分の行動に気をつけ、人との関係を大切にする努力を惜しみません。

自分を磨くというのは、決して痛みを避けて楽を得ることではありません。むしろ、敢えて痛みに飛び込み、苦しい経験を通じて、心を鍛えることです。空手の稽古では、どれだけ頭で知識を詰め込んでも、実際に痛みを受けなければ、ガードは完成しません。しかし、一度痛みを経験すれば、体は本能的にそこを守ろうとします。

人生も同じです。60代になっても、私たちは成長し続けることができます。もし人間関係で傷つきやすいと感じるなら、少しの痛みを覚悟して、積極的に人と関わってみる勇気を持ってみましょう。それは決して無謀な挑戦ではなく、自分自身の「勇猛心」を呼び覚まし、「柔和心」とのバランスを取るための大切な実践です。自分の弱さを受け入れ、それを磨くための行動を続けることこそが、真に自分を信じ、人生を豊かにする智慧となるでしょう。

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