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劣等感は宝物。私の見つけ方

静かな朝の勤行中、過去の自分を振り返り、私の中に深く根差していた劣等感の存在に気づきました。多くの人が人との比較の中で、自分には足りないものがあると苦しんでいます。しかし、その劣等感は本当にあなたを苦しめるだけのものなのでしょうか。今日は、仏教の教えに照らし合わせ、劣等感を宝物に変える心磨きの方法をお伝えしたいと思います。

劣等感の正体と根源

「どうせ私なんて」「自分には何もできない」。そんな言葉が、あなたの心の中に響くことはありませんか。私たちは、幼い頃から周囲の人々と比較される中で育ち、いつしか「自分は人より劣っている」と感じてしまうことがあります。特に、現代社会では、SNSなどで他人の輝かしい一面ばかりを目にする機会が増え、劣等感に苛まれる人が後を絶ちません。
この劣等感の根源には、仏教でいう「無知」という心の状態が深く関わっています。無知とは、物事の真実を正しく見極めることができていない状態を指します。私たちは、表面的な部分や、一時的な結果だけを見て、自分と他人を比較し、そこに優劣をつけてしまいます。そして、その比較の中で、自分が劣っていると感じた時、心が苦しくなるのです。
私自身も、幼少期や修行僧時代に、自分の不器用さや、他の人との違いに劣等感を抱いた経験があります。「自分はダメな人間だ」と深く落ち込んだものです。しかし、それは決して私だけのことではありません。誰もが、何かしらの劣等感を抱えて生きています。それは、先祖供養の際にご先祖様方の人生を振り返ってみると、彼らもまた、それぞれの時代で様々な葛藤や劣等感に苦しんだ経験があったことに気づかされることでしょう。
この劣等感は、時に「プライド」の裏返しであることもあります。自分を良く見せたい、認められたいという気持ちが強いほど、他人との比較で「負けた」と感じた時の落胆も大きくなります。仏教の教えでは、私たちの心を煩わせる三つの毒、すなわち「貪り(とん)」「怒り(じん)」「無知(ち)」が説かれますが、この劣等感は、無知から生じる心の病の一種と考えることができます。

劣等感を受け入れる智慧

では、この厄介な劣等感と、私たちはどのように向き合えば良いのでしょうか。まずは、「否定的な自分を受け入れる」ことから始めてみましょう。これは、自分の弱点や不器用さを肯定することではありません。ただ、そうした自分を「戦略的に、意図的に」受け入れるということです。完璧な人間などいません。誰にでも、得意なことと苦手なことがあります。それを素直に認め、受け入れることが、心の平静へと繋がる第一歩です。
私自身、自分の不器用さを自覚し、それを受け入れてから、心が楽になった経験があります。以前の私は、何でも器用にこなせる人に憧れ、自分もそうあらねばならないと必死でした。しかし、どれだけ努力しても、どうしてもできないことがある。そんな自分を受け入れた時、初めて「できること」に集中できるようになりました。それは、まるで、自分の右足が思うように動かないことを知った空手の稽古のように、その「弱点」をどう活かすか、どう補うかを考えるきっかけとなったのです。
仏教の教えは、私たちに「慈悲心」を持つことの大切さを説きます。それは、他者だけでなく、自分自身にも向けるべき心です。自分の欠点や失敗を過度に責めるのではなく、「ああ、自分も人間だから、完璧ではないのだな」と、温かい目で見つめてみましょう。過去の経験が、今のあなたを形作っています。たとえそれが辛い経験であっても、その経験があったからこそ、あなたは今のあなたなのです。先祖供養を行う中で、ご先祖様方が経験された苦難もまた、彼らの人生を豊かにする糧となったことに思いを馳せると、私たち自身の過去の出来事も、より大きな視点で捉えられるようになるかもしれません。
劣等感を宝物に変えるためには、具体的な実践が必要です。それは、決して難しいことではありません。まず、「今、ここ」に意識を集中すること。過去の失敗に囚われたり、未来の不安に怯えたりするのではなく、今この瞬間に自分ができることに全力を尽くすのです。これは、私が人生のどん底にいると感じた時、ただひたすらに目の前のことに取り組む中で見つけた智慧です。
また、「与える」という行為も、私たちの心を豊かにし、劣等感を乗り越える力となります。仏教の「布施」の教えにもあるように、自分の持っているものを惜しみなく他者に差し出すことで、感謝の気持ちが生まれ、心が喜びで満たされます。これは、物質的なものだけでなく、知識や技術、時間、そして何よりも「喜び」の心です。自分の能力が足りないと感じていても、誰かのために何かをする喜びは、何物にも代えがたいものです。
さらに、私たちは「学ぶ」ことで成長します。尊敬できる師や、目標とする人のやり方を「真似ぶ」ことから始めてみましょう。私自身、空手を始めた当初は全くの素人でしたが、先輩の動きをひたすら真似ることで、少しずつ上達することができました。それは、単なる模倣ではなく、その過程で自分なりの工夫や発見が生まれ、やがては自分自身のスタイルを確立するきっかけとなります。
劣等感は、あなたに「もっと良くなりたい」という成長への欲求を与えてくれる宝物です。その気持ちがあるからこそ、人は努力し、自分を高めていくことができるのです。恐れずに、自分の弱点に向き合い、それを克服しようと挑戦してみてください。たとえ失敗しても、その経験があなたを強くし、優しくしてくれるでしょう。先祖供養を通じて、ご先祖様方の生き様から学び、その智慧を自身の成長の糧としていくことも、この劣等感を宝物に変える大切な実践となります。

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