本棚の整理をしていて気づいた「手放すことの功徳」 ― 執着を離れることで見えてくる本当に大切なもの

書院の本棚が手狭になってきたため、思い切って蔵書の整理をすることにしました。長年にわたって集めてきた仏教書、哲学書、文学書、そして様々な分野の専門書。気がつくと本棚は満杯で、新しい本を置く場所もない状態になっていました。
「これは全部大切な本だから」「いつか読み返すかもしれない」
最初はそう思いながら本を手に取るのですが、実際には何年も開いていない本がほとんどでした。中には購入してから一度も読んでいない本まであります。
「本当に必要な本はどれなのだろうか」
そんな疑問を抱きながら一冊一冊を見直していくうちに、この本棚の整理が単なる片付け作業ではなく、自分自身の「執着」と向き合う貴重な機会になっていることに気づきました。今日は、この体験から学んだことについてお話ししたいと思います。
なぜこんなに本を溜め込んでしまったのか
本棚を見渡しながら、「なぜこれほど多くの本を集めてしまったのだろう」と考えました。
一つは「知識への渇望」です。住職として、より深く仏教を学びたい、信者の方々に的確な法話をしたいという思いから、関連する本を次々と購入していました。仏教書だけでなく、心理学、哲学、文学、歴史書なども「法話の参考になるかもしれない」と思って集めていました。
もう一つは「安心感」です。本棚に本が並んでいることで、「いつでも必要な知識を得ることができる」という安心感を得ていたのかもしれません。まるで知識という名の備蓄をしているかのように。
しかし、実際に手に取ってみると、多くの本は「いつか読もう」「いつか参考にしよう」と思いながら、結局は本棚の飾りになっていました。これは仏教で言う「所有の錯覚」だったのかもしれません。