仏壇やお墓に使われる花の意味

私たちがご先祖さまや大切な方々のために手を合わせるとき、仏壇やお墓に供える「花」。その存在は、祈りの場に彩りと安らぎを与えてくれます。けれども、なぜ花を供えるのでしょうか? どんな花がふさわしいのでしょうか? 今回は、仏壇やお墓にお供えする花の意味や種類、宗教的な背景、そして現代における考え方について、仏教の視点から詳しく見ていきます。
花を供えるという行為の意味
仏教において「花を供える」という行為には、いくつかの大切な意味があります。ひとつは「無常」を象徴するという意味。どんなに美しく咲いた花も、やがては散ってゆく。人の命もまた同じく、いつか終わりがくる。そのはかなさを見つめることで、いまこの瞬間の尊さに気づくのです。
もうひとつは、「清浄」の象徴としての花。汚れなき美しい花を仏さまや故人に供えることで、私たちの心も清らかになると考えられています。お供えする花は、その人の誠意や感謝の気持ちを表す「こころの贈りもの」でもあるのです。
なぜ仏壇やお墓には菊が多いのか
仏花と聞いて、多くの方がまず思い浮かべるのは「菊」ではないでしょうか。菊は日本では古くから仏花として親しまれてきました。
その理由のひとつは、菊の花が長持ちしやすいこと。水に挿しても日持ちがよく、傷みにくいため、頻繁に取り替えができないお墓や仏壇に向いています。
また、菊の花は「高貴」「気品」「長寿」を象徴する花とされ、古くから皇室の紋章にも使われてきました。仏教的には、「真理を求める心」「静寂と品位」を表すものとして供花に選ばれるようになったとされます。
さらに、菊には香りがほとんどないという点も重要です。仏教では「香りの強い花は控えるべき」とされることがあり、故人の眠る場所に香りの強すぎるものを供えることを避ける傾向があるためです。
カーネーションやバラは避けるべき?
「母の日だから、カーネーションを供えたい」「バラが好きだったから、飾ってあげたい」と思われる方も多いでしょう。実際に、近年では自由な供花のスタイルも増えてきています。
ただし、カーネーションやバラは香りが強い種類もあり、また棘(とげ)があることから、仏教的にはあまり好まれないとされることがあります。棘は「苦しみ」や「邪気」を連想させると考えられているためです。
しかし、必ずしも禁止されているわけではありません。最近では「故人が好きだった花を供える」という気持ちが何よりも尊重されるようになってきました。大切なのは形式ではなく、心です。
季節の花を取り入れる意味
供花に「季節感」を取り入れることも、非常に意味深い行為です。春なら桜や菜の花、夏は蓮やアジサイ、秋はリンドウやススキ、冬には椿や南天など。その季節に咲く花を供えることで、自然の巡りと共に生きるという仏教の教えを体現することができます。
また、季節の花を供えることは、故人と共に今の時を過ごしているような感覚を得ることもできます。花が語りかけてくれるような気持ちになる──それもまた、供養の一つのかたちと言えるでしょう。
仏壇とお墓での供花の違い
仏壇に供える花は、室内に置くものであるため、比較的小ぶりで落ち着いた色合いの花が好まれます。対して、お墓に供える花は、風雨や日光にさらされるため、耐久性があり、ある程度大ぶりで見映えのするものが選ばれます。
また、仏壇では左右対称に一対で供えるのが基本とされており、色のバランスや花器との調和も大切にされます。一方で、お墓では「一束のみでも可」とする地域もあり、地域差や慣習も見られます。
なごみの杜霊苑の取り組み
姫路市にある「なごみの杜霊苑」では、従来のお墓参りに必要だったお線香や供花、ローソク、お供物などをご持参いただく必要はなく、手ぶらでお気軽にお参りいただける環境をご提供しております。
花や線香がなくとも、そこに向けられた「祈り」や「感謝」のこころがあれば、それで十分。私たちはそう信じています。
花を通して伝える、感謝と祈り
私たちは花を供えることで、「ありがとう」「元気にしています」「また会いにきました」という言葉にならない想いを伝えています。
仏壇やお墓に供える花には、色や種類に意味があることも大切ですが、何よりもそこに込めた想いが尊いのです。花が枯れるように、私たちの命も有限ですが、だからこそ「今この瞬間」を大切にし、ご先祖さまや大切な人への感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。
昌楽寺では、これからも皆さまの祈りの心に寄り添い、そのお手伝いをさせていただきます。