仏教における「無常」のこころ ― 変わることを受け入れる力

「諸行無常(しょぎょうむじょう)」
この言葉を、皆さまも一度はどこかで耳にされたことがあるのではないでしょうか。仏教における基本的な教えのひとつであり、「すべてのものは常に移り変わっていくものであり、永遠に同じ姿ではいられない」という意味をもっています。
仏教は、生老病死という人の苦しみの根源に向き合いながら、その苦しみの正体を明らかにし、どう向き合い、どう受け入れていくかを教える道です。その出発点にあるのが、「無常」の思想なのです。
今日はこの「無常」という教えについて、少しだけ深く掘り下げながら、私たちの暮らしにどう関わっているのかをお話ししてまいりたいと思います。
変わることの中にこそ、真実がある
「昨日と今日とでは、空の色も、風のにおいも違っている」
そんなふうに感じたことはありませんか?
朝起きて窓を開けたとき、昨日より少し暑くなったと感じたり、風のなかに夏の気配を感じたり。あるいは、いつも通る道で、ふと季節の花が咲いているのに気づいたり。
私たちのまわりのすべては、少しずつ、確実に変化しています。それは自然も、人も、時間も、すべてです。
仏教が説く「無常」とは、この“変化し続けるという現実”を正しく見つめようとするこころです。逆にいえば、私たちが苦しみを抱えるのは、「変わってほしくない」「ずっとこのままでいてほしい」と願ってしまう心があるからなのかもしれません。
人の一生もまた、無常のあらわれ
仏教では、人の生涯そのものが無常であると説かれます。生まれ、育ち、年を重ね、やがて老いていく。そして、死を迎える。
どれほど健康に気を配っても、どれほど努力をしても、この流れを止めることはできません。
ですが、そのことに悲しみや怖さを感じるのではなく、「そうであるからこそ、一日一日を大切に生きよう」と、仏教では教えます。儚さを知ることで、今この瞬間の重みが、より深く心にしみてくるのです。
人生には、別れがあります。思いがけない変化もあります。しかし、それを「苦」としてとらえるか、「自然な流れ」として受け入れられるかで、心のあり方は大きく変わっていきます。
無常を知ることは、やさしさを育てること
人が無常を理解すると、他者に対しての見方も変わっていきます。
たとえば、誰かに対して腹が立ったり、うまくいかないことが続いて落ち込んだりすることもあるでしょう。しかし、「この気持ちも、やがては過ぎていくもの」と思うだけで、心はほんの少し軽くなるのです。
さらに、「相手もまた、変化の中に生きている」という視点を持つと、相手を責める気持ちよりも、「今はつらいのかもしれないな」「言えない思いを抱えているのかもしれないな」と、思いやる心が育っていきます。
つまり、無常を理解するとは、他者の痛みや悩みに寄り添う、やさしい心を育てることでもあるのです。
執着を手放すための智慧
仏教では、苦しみの原因は「執着」であると説かれます。私たちは、「これは私のもの」「こうでなければならない」と物事に執着することで、それが崩れたときに苦しむのです。
無常を知るということは、「すべては変わる」という前提に立つことです。だからこそ、「今あるものに感謝しながら、手放すこともまた受け入れていく」。この姿勢こそが、仏教の智慧なのです。
私たちは、日々の暮らしの中で、たくさんのものを背負い、握りしめて生きています。でも、手放すことを学ぶと、心に少しずつ余裕が生まれてきます。そして、その余裕のなかに、他者を受け入れるやさしさや、自分を大切にするこころも育まれていくのです。
無常を通して気づく、今この瞬間の尊さ
「諸行無常」の教えは、けっして悲観的なものではありません。
すべてが変わるからこそ、「今ここにある」ものが尊い。いつまでも続くと思っていた日々が、ある日ふと終わりを迎えるからこそ、今日の出来事がかけがえのないものに思えてくる。
たとえば、あるご家族が久しぶりにお墓参りに訪れ、お花を供えて手を合わせておられた場面がありました。その姿を見ながら、「こうして会える時間も、手を合わせる機会も、いつかは思い出になるのだな」と感じたことがあります。
一緒に過ごす日々、語り合う時間、支え合う想い。どれもが、無常という大きな流れのなかにある、かけがえのない一瞬なのです。
仏教は「変わるもの」とどう生きるかを教える
「仏教って、なんだか難しいですよね」と言われることがあります。確かに、経典や専門用語を読むと、とっつきにくく感じられるかもしれません。
でも、仏教の根本には、「この世のすべては変わっていく」という、ごく自然で、あたりまえの真理があります。
そして、「変わるものと、どう向き合い、どう生きるか」という問いに向き合い続けてきたのが、仏教なのです。
私たちは、何かを失うことを恐れ、変わっていくことに戸惑いながら生きています。けれども、その変化のなかにこそ、新しい気づきや出会いが待っている。そう信じることができれば、生きることが少しだけ、やわらかく、あたたかくなっていく気がするのです。
最後に ― 無常のこころを日々の歩みに
無常とは、決して冷たい言葉ではありません。それは、私たちに「今ここ」を大切にするよう教えてくれる、あたたかな言葉です。
「ありがとう」「ごめんなさい」「またね」と伝えられるうちに伝えておくこと。今日できることを、今日のうちにやっておくこと。悔いのないように、でも、無理をしすぎずに日々を生きること。
昌楽寺では、そんな思いで、訪れる皆さまの心に静かに寄り添う場でありたいと願っております。
変わっていく季節のなかで、立ち止まり、深呼吸し、手を合わせたくなったときは、どうぞ気軽にお立ち寄りください。
そのひとときが、きっと皆さまにとっての「無常と共に生きる智慧」となることでしょう。