「おかげさま」で生きている ― 夏にこそ思い出したい感謝のこころ
はじめに ― 「おかげさま」という言葉
「おかげさまで元気にしております」「皆さまのおかげです」――日本人が日常的に使うこの「おかげさま」という言葉には、目には見えない大きな力や支えへの感謝の心が込められています。
仏教の教えにおいても、私たちの命は「無数のいのちと縁」によって支えられていると説かれます。そうした感謝の心を表すのが、「おかげさま」という日本語なのです。
夏はお盆や施餓鬼など、先祖供養の行事が多く行われる季節。今回は、そんな夏にこそあらためて思い出したい「感謝のこころ」について、仏教的な視点から考えてみましょう。
夏はご先祖さまを想う季節
日本では、毎年7月または8月に「お盆」の行事が行われます。この時期は、亡きご先祖さまの霊が私たちのもとへ帰ってくると信じられており、仏壇を整え、盆棚を設け、灯明や供物を供える風習が今も各地で大切に守られています。
また、地域によっては「施餓鬼供養」もこの時期に行われます。これは、ご先祖さまだけでなく、名もなき無縁仏や餓鬼道に苦しむ存在にも施しをする、広い慈悲のこころを示す行事です。
こうした行事の根底には、「自分ひとりで生きているのではない」「多くの命のつながりの上に、今の私がある」という感覚が流れています。
「おかげさま」という感覚はどこから来る?
「おかげ」とは「陰(かげ)」――すなわち、表には見えない誰かの働きや支えのことです。それに「お」をつけて丁寧にしたのが「おかげさま」。
この言葉には、目に見える恩だけでなく、直接的に知らなくても、気づかぬうちに自分を支えてくれた存在にまで思いを馳せる優しさがあります。
仏教ではこれを「縁起(えんぎ)」と呼びます。すべての存在は「縁」によって起こる。つまり、自分という存在は、自分ひとりの力で成り立っているのではなく、他者や環境、時間、偶然的な要素までもが関わり合って存在しているという教えです。
現代に生きる私たちと「おかげさま」
忙しい現代社会では、「当たり前」に支えられていることへの感謝の気持ちを持つ余裕が失われがちです。
・朝、目覚めて健康でいられること ・家族や友人がいてくれること ・毎日ご飯を食べられること ・職場や社会に自分の居場所があること
これらはすべて「当たり前」のように感じられますが、実はすべて「おかげさま」で成り立っているものです。
「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」だと言われることがありますが、感謝の心を持ち続けることで、日常の風景が少しずつ違って見えてくるかもしれません。
ご先祖さまへの「ありがとう」を形にする
お盆の時期には、ぜひ仏壇の前に手を合わせてみてください。
「おじいちゃん、おばあちゃん、今年も元気で過ごしています。いつも見守ってくださってありがとう」
たったひと言でもいいのです。手を合わせるその姿に、ご先祖さまはきっと喜んでくださいます。
また、供物を用意したり、お墓参りをしたりすることも、ご先祖さまへの感謝を形にする行為です。そこには「私をここまで育ててくれた命のつながり」に敬意を払う気持ちが込められています。
おわりに ― 感謝はめぐる
「おかげさま」の心は、仏教の教えそのものです。
自分のためだけでなく、誰かの幸せを願い、誰かのために行動する。その根底には、「生かされている」という感謝の気持ちがあります。
そしてその感謝は、まるで風のように見えずとも、また次の誰かを優しく包み、めぐっていくものです。
夏は、ご先祖さまへの感謝を通して、自分自身の命のあり方を見つめ直す季節。暑さの中にも、心の涼やかさを大切にしたい――そんな「おかげさま」のこころを、今こそ思い出してみませんか?
※昌楽寺では、供養のご相談も随時受け付けております。お気軽にお問い合わせください。