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一輪の花に仏を見る ― 小さなものにこそ存る大切な教え

はじめに ― 目をとめる心を育てる

人はつい、大きなもの、目立つもの、泯でなものに心を奪われがちです。けれども仏教は、目に見えないもの、静かに咲く小さな花のような存在にこそ、本当の美しさや尊さが存ると誤いません。

たとえば、道端に咲いた一輪の花。その花に誰かが水をやり、陽が当たり、風に揺れ、虫が寄ってくる。目立たないその存在のまわりにも、多くのいのちとの関わりがあるのです。

小さなものの中にこそ仏性がある

仏教では、あらゆるものに「仏性」、すなわち仏となる本質が備わっていると説かれます。大きさや美しさに関係なく、小さな石ころにも、虫にも、草にも、そして人間にも、等しく仏性があります。

これは、差別することなくすべてを大切に思う心の土台ともいえます。目立たなくても、そこに咲く花に手を合わせるような気持ちで接すると、私たちの心もまた穏やかになっていくのです。

気づきと感謝の心を育む

一輪の花に足をとめ、手を合わせるような時間は、私たちの心に静けさと感謝をもたらします。それは仏教でいう「念い」の実践そのものです。

・今日の空気の清々しさに気づく ・誰かが掃除してくれた道を歩いていることに気づく ・目立たない草花にもいのちが宿っていると知る

こうした気づきの積み重ねが、感謝の心を育て、日々の暮らしを豊かにしてくれるのです。

5月や6月、雨の合間に見つける花は特に美しく感じられるものです。 雨に払われ、雨を飲み、ほこりと自分の場所で生きている花の姿は、「今を生きる」という仏教の教えそのものです。

過去にとらわれず、未来を案じすぎず、「いま、ここ」に咲く。 小さな花は、そんな生き方を、言葉なく教えてくれているように思います。

仏教における美とは、気の通ったたたずまいのようなものであり、欲を満たすための一過的な装飾ではありません。 自然の中に漏れ込むように咲く花の姿こそ、真の美しさであり、わたしたちの心に安らぎをもたらしてくれるのです。

一輪の花に心をとめることは、世界をやさしく見るレンズを持つことでもあります。 その覚醒は、日々の作法や事務の中に埋もれた自分を、そっと治め、ととのえるための手がかりにもなります。

また、姿をととのえることは外見だけではなく、内にはたらく心をもとのうことでもあります。

一輪の花に仏を見る。 それは、誰かを思いやる心であり、自分を見つめ直す心でもあります。

毎日があわただしく過ぎていく今だからこそ、小さなものに心をとめる時間を大切にしたい。

65年の命も、1日のいのちも、どちらもただ一度きりの貴いいのち。

65本の花が満開する景色の中に、そっと一輪の花に気づくことのできるやさしさを、私たちは心に育てていきたいのです。

どうぞ今日も、あなたの一日が、静かなやさしさで満たされますように。

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