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“六道”とは?人は死んだらどこへ行く?

日々の生活のなかで、ふと「人は死んだらどうなるのだろうか」と思いを巡らせることがあります。
大切な人を亡くされたとき、自らの最期について考えるとき、
その問いは静かに、けれど確かに、心の奥に浮かび上がるものではないでしょうか。

仏教では、命あるものすべてが生死を繰り返す「輪廻(りんね)」という考え方があります。
そしてその生まれ変わりの行き先として語られるのが「六道(ろくどう)」という世界です。

今回はこの「六道」について、できるだけやさしく、そして現代の私たちの生き方にもつながる形でお話をさせていただきたいと思います。

六道とは何か ― 輪廻のなかにある六つの世界

六道とは、仏教において私たちが死後に生まれ変わるとされる六つの世界を指します。
「地獄道(じごくどう)」「餓鬼道(がきどう)」「畜生道(ちくしょうどう)」「修羅道(しゅらどう)」「人間道(にんげんどう)」「天道(てんどう)」の六つです。

仏教では、生きとし生けるものは、過去の行い(=業、カルマ)によって、死後この六つのいずれかの世界に生まれ変わると説かれています。

1. 地獄道 ― 苦しみの極み

地獄道は、六道の中でも最も苦しみの深い世界です。
嘘をついたり、怒りに身を任せたり、他人を傷つける行為を重ねた結果、落ちるとされる世界で、
灼熱の炎や氷の地獄、様々な責め苦が延々と続くといわれます。

ただしこれは決して“神の罰”ではなく、あくまで自らの行いが生んだ結果としての苦しみであり、
その苦しみを通してまた次の生を迎える準備の場とされることもあります。

2. 餓鬼道 ― 欲望に支配される世界

餓鬼道に落ちた者は、飢えと渇きに苦しみながらも満たされることがありません。
どれほど食べ物や飲み物を求めても、それは手に入った瞬間に火となり、苦しみに変わるとされます。

この世界は、過度な欲望や貪り、嫉妬、執着などが原因とされ、
たとえば他人のものを奪おうとしたり、自分の利益だけを追い求めたりする生き方がその要因とされています。

3. 畜生道 ― 分別のない無知の世界

畜生道は、動物や虫など、人間以外の生命として生きる世界です。
本能のままに生き、知恵や理性に乏しいとされることから、仏教では「無知による苦しみの世界」と位置づけられています。

弱肉強食の厳しい環境の中で、常に命の危機にさらされながら、理不尽な運命に翻弄されているとされます。

4. 修羅道 ― 絶え間ない争いの世界

修羅とは、インド神話に登場する戦い好きの神々のこと。
この道に生まれた者は、誇り高く、力や勝ち負けに執着し、他者との争いを繰り返します。

たとえ善い行いをしていても、怒りや嫉妬、対抗心に支配されていると修羅道に落ちるとされ、
戦いや競争の絶えない世界です。現代社会における「出世争い」「嫉妬心」なども、修羅的な生き方の一端かもしれません。

5. 人間道 ― 苦楽が交差する貴重な世界

私たちが今いるこの現世が「人間道」です。
ここには喜びも悲しみも、成功も失敗もあります。
仏教では、人間道は六道の中でも特別に「仏道修行ができる世界」として尊ばれています。

なぜなら、人間は「老・病・死」などの苦しみを通して、人生の無常を感じ、仏法に出会い、修行を通じて目覚め(悟り)に向かうことができるからです。

6. 天道 ― 喜びと幸福に満ちた世界

天道は、善行を積んだ者が生まれ変わる世界で、欲望が満たされ、長寿と幸福に満ちた生活を送れるとされます。
天人(てんにん)と呼ばれる存在たちが住まう世界です。

しかし天道にも苦しみがないわけではありません。
やがて寿命が尽きるときが訪れ、次の輪廻が始まるという点では、完全な解脱の世界ではありません。

六道はどこか遠い世界ではなく、私たちの心の中にある

これまでご紹介した六つの世界は、単に死後に行く場所というだけではなく、
私たちが今この瞬間にも経験している心の状態を表しているとも言われます。

・怒りに満ちているとき、私たちは「地獄」にいるかもしれません。
・欲に振り回されているとき、「餓鬼」の心が芽生えます。
・他人を押しのけてでも勝ちたいと思うとき、「修羅」のような心に染まります。

つまり、六道とは「心の在りよう」を映し出す鏡であり、
私たちは日々、その六つの世界を行き来しながら生きているとも言えるのです。

六道から抜け出すために ― 仏教の教えが導くもの

仏教の目的のひとつは、この六道の輪廻から抜け出し、真の安らぎである「涅槃(ねはん)」に至ることです。
それは「悟りの境地」とも呼ばれ、苦しみの連鎖を超えた、安らかで変わらぬ心の状態を指します。

では、どうすれば六道の輪廻から抜け出せるのでしょうか。

仏教では次のような行いを重んじています:

  • 布施(ふせ):人のために施しを行うこと
  • 持戒(じかい):善悪をわきまえて行動すること
  • 忍辱(にんにく):怒りや恨みをこらえ、耐えること
  • 精進(しょうじん):仏道に励む努力を怠らないこと
  • 禅定(ぜんじょう):心を静めて自分を見つめること
  • 智慧(ちえ):物事の本質を見極め、執着を手放すこと

そして、浄土宗や真宗では「南無阿弥陀仏」と称える念仏の教えを中心に、
阿弥陀如来の慈悲にすがることで、迷いの世界から救われる道が示されています。

六道の話は、一見すると「死後の話」のように思われがちですが、
実は「今の生き方」に深く関わる教えでもあります。

「今このとき、どのような心で生きているか」
「自分の行いが、誰かを傷つけていないか」
「怒りや欲望に振り回されていないか」
― そうした内省を促してくれるのが、六道の教えなのです。

つまり、私たちが六道の存在を知ることは、
より良く、より穏やかに生きるための道しるべとなるのです。

仏教では、「死んだらどこへ行くのか」という問いに対して、
六道という教えを通じて、「生き方が行き先を決める」ということを伝えています。

今この瞬間の心の持ち方、日々の小さな行いが、やがて自分の人生を形づくり、
死後の世界だけでなく、今ここにある「心の世界」にも影響を与えているのです。

昌楽寺では、そうした仏教の教えを大切にしながら、
皆さまお一人おひとりの心に寄り添い、
ともに今を生き、未来を見つめていける場所でありたいと願っております。

六道の世界に迷うことなく、
穏やかな心で日々を生きることができますよう、
どうぞ今日も、静かな時間の中で、ご自身の心を見つめてみてください。

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